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あいまい日記 2 ─私という川にどうか綺麗な魚を住まわせてほしい

生活をいかにコントロールするか。毎日やること。毎週やること。毎月やること。これは○時間やる。あれは△時間やる。すると睡眠は□時間になる。1日を時間で腑分けしていく。ひとつずつ処理していく。向上していく。摩耗していく。途切れる。諦める。幾度も試みてきた。無理なのか?やり続けて来れたことはなんだろうか?一つ、グラフィックデザインの仕事。これはもう10年を超えた。途中、1年ほどブラブラしていた時期はあったが、それを経て、やはり私にはこの仕事だと、それ以前よりずっと明確な想いを得て、想い変わらず今に至っている。一つ、とあるネットゲーム。もう3年は遊んでいるはずだ。いや4年かもしれない。ほぼ毎日1、2時間くらいは遊んでいる。何時間も熱中することはほとんど無くなったが、飽きるということもなく続いてる。主にこの二つだろう。仕事は仕事なので続いている。仕事に生を賭けるような想いは持ちあわせていない。何かしら働かねば食べていけない。働くなら私には他のどの仕事よりもこの仕事がいい。そんな感じだ。そう思える仕事で食べていけている事実に大変感謝している。こうして幸運にもグラフィックデザインの仕事を続けてきたことは、しかし自分の意志で何かを続けることや、生活をコントロールしたいという想いとはつながっていない。ネットゲームもそうだ。ゲームが好きで、ゲームで遊ぶということは、幼い時からずっとそのようにあり続けてきたことであり、あまりに自然で、ゲームを生活の中に在らしめることに少しの意志力も必要としない。仕事もゲームも、私という川の水に完全に溶け込んで共に流れているものなのだ。それはある種の虚無だ。私は綺麗な魚が見たい。私の川に住まわせたい。自然な営みとともに流れるだけの日々ではなく、実体感を味わいながら進んでいきたいのだ。思えば、絵を描きたい、WEBデザインをできるようになりたいというのは、そこへ向けて生じたものなんだろう。自分の中にひとつ、実体感を放つものがある。この魚はすでに骨であり、化石になっているが。グラフィックデザインの仕事は親から教えてもらったものだ。そして専門学校で学び、最初に入り込めた職場で4年ほど働いて、辞めた。会社は良い会社だった。当時の私のような人間を、もし今の私が雇ったとしたら、1年と保たずにクビにするだろうと思う。4年も働かせてくれた理由は全く不明だが、その点には感謝しかない。まぁともかく辞めたのだ。親のおかげでこの仕事を知り、そして入り込めた場所で働いた。これは一つの流れでしかなかった。辞めてからは、半年は何もしなかった。好きに絵を描いたりはしていたがそれだけだ。東京から離れて、山の中にある激安アパートの洞窟のような部屋でとりあえず生きていた。そして、やっぱり私はグラフィックデザインをやっていこうという結論を得た。貯金は無くなりつつあったので、東京に戻るには先立つものが必要だった。はじめは少しでもデザインに関係ありそうなアルバイトを探し、シルクスクリーンの現場に面接に行ってみたがあっさり落とされた。そして、当時どのようにそこに行き着いたのかはっきりとは覚えていないのだが、自動車工場のライン工として働くことにした。たぶん求人誌に載っていたんじゃないだろうか。寮あり、日給1万円、残業代あり、半年無遅刻無欠勤で50万円也。これは私にとってはなかなかにキツい仕事だった。デザイナー時代より圧倒的によく食べていたにも関わらず、元々軽い体重がジワジワと落ち続けていった。ドロドロに汗をかいて働き、むさ苦しい共同浴場でサッパリしたら食事をかっ込んで洗濯をして、いくらか時間を過ごしたら寝る。休日の潤いは人気のないゲームセンターだった。まぁそんな日々だったが、ともかく自分で考えて自分で選んだ場所だった。そして半年間キッチリ勤め上げることができた。実体感のある半年となった。半年分の貯えと無遅刻無欠勤の50万円とで東京に戻って来ることができた。この魚はもはや化石ではあるが、重みはしっかり残っている。その重みのおかげで、これまでやって来れている。他人からすればあまりにもどうということもない化石なのだが、それは気にしなくていいことだ。そしてこれからは、新しい魚を招き入れたい。そういうことだ。今日の分は出し切ったと思う。では。

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