家着(いえぎ)
私の実家では家着(いえぎ)と呼ばれる服があった。
家着とは、朝起きて部屋を出る前に着る服の事。
文字通り家にいる時に着る服。
例えば、デニム(昔はジーパンと呼んでいた)またはスカートにトレーナー・ポロシャツ、冬はセーターなど、ちょっとそこまでなら着ていける程度の服。
世間では部屋着と呼ぶのだろうが、実家では家着と言った。
家着に着替えて顔を洗い、朝食を食べる。
食事が終わると歯磨きをして、髪を整えたりメイクをしたり。
出掛ける直前に服(学生の頃は制服)に着替えるのだ。
学校や会社、または遊びなど出先から帰宅すると、また家着に着替えて食事。
そのまま入浴までの時間を過ごし、入浴後にパジャマに着替える。
この家着の存在は私が物心ついた頃からだったから、特に違和感を持ったこともなく
面倒だと思ったこともない。
しかしこの習慣を面倒だと思ったのは、結婚してからだった。
結婚し子供を持ち、家事や育児に追われる中で、
朝から何度も着替えている時間はなかったし、洗濯物も増える…。
次第に私の生活からこの習慣は無くなっていったのだ。
私より忙しかった母が、いつも綺麗にしていたことを尊敬したものだ。
ちょうどその頃、パジャマには見えないおしゃれなスウェットのセットアップが、世に出回ってきたのである。
起きてすぐ家事をするにも、朝早くゴミ出しに出たとしても体裁が良く、
パジャマなのに家着の役割もしてくれるなんて、朝が1番忙しい主婦にはピッタリのアイテムだった。
月日が流れ、子供達に手が掛からなくなった頃から、また私は家着を持っている。
パジャマはお風呂上がりにしか着ないし、出掛けた服はすぐに脱いで一時置き場に吊し、湿気や埃を取ってからクローゼットに戻す。
こうすることでいつも綺麗な状態で服を着ることができる。
面倒なようだが、用途にあった服を持つことで、どの服もそれぞれの役割を全うする。
身に纏うものには、それぞれの役割があるのだ。
パジャマは快適な睡眠の為、家着は自宅でリラックして過ごす為。
お出かけ着はお洒落を楽しむ為…などなど。
両親がそこまで深い意味を持って習慣としていたのかは不明だが、
お洒落をすることを楽しんでいた両親を考えると、服を大切に扱うことのひとつだったのだと思う。
出掛けるまでは家着。帰宅したらすぐに家着に着替える。
このひと手間が、自分の中でオンとオフを切り替える時間でもあるのだ。
自営業で毎日一緒に働いていた両親は、着替える事で【社長と経理の人】の立場から【夫婦】へと、気持ちの切り替えをしていたのかもしれない。
当たり前に感じていた家着の習慣は、実は生活にメリハリをつけていたのだ。
今考えると時間的にも精神的にも余裕のある生活をしていたと感じる。
いい習慣を身に付けてくれた両親に感謝したい。
唯一残念に思うのは、この習慣を私が娘達に伝授できなかったことだ…。