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お見送り

「行ってらっしゃい」

 一人暮らしを4,5年間していて、この言葉を言ってくれる人の存在というのは有難いものなのだなぁと思っていた。
 
 新海誠さん監督作品の「すずめの戸締まり」はまさにこの言葉がキーワードみたいな感じで、主人公のすずめを送り出すときに、その言葉を掛けてあげる。そのことで文字通り一歩踏み出せる、素敵な言葉だ。

「ただいま」

 この一年で、祖父を二人、祖母を一人見送った。もちろんいつかは来るもの。そんなことを少しでも悠長に思っていた自分が情けない。
 社会人になってからはなんだか、仕事を最優先事項に置きすぎてしまっている。せっかく大人になれたのだから、もっと彼らと、仕事の話を、彼らの話を、自分の話を、孫と祖父母としての話を、もっとしたかった。
 ちゃちなプライドは必要なかった。

 自分は彼らにとって、初孫だ。だからといってスーパーパワーがあるわけでもなく、スペシャルなタレントがあるわけでもない。
 だけど、それでも、今までも今日もこれからも、彼らの孫であり続ける。
 自己肯定感が地についているような自分だけれど、自分を孫として、祖父母になって良かったと、思わせられる人ではありたいな。

さくらちゃん

「おかえり」

 祖父の一人は、お家で看取りのような形で亡くなった。一般的にいえば、良いものなのではあろう。自分もそう思っていたから。でも今は分からない。そう思えたことも、今では良いことと思える。
 自分がいつか子どもに恵まれたら、彼らの話をなんてしてあげよう。なんてことをふと思う。姿、形は伝えることが出来なくても、彼らが息子娘(自分の父母)に、そして自分に残してくれた愛情が伝わるように、そして伝わるような話し方をしてあげられるかな。
 
 葬儀を終え、やっとお家に帰ってこれたおじいちゃん。なかなか声かけられなくてごめんね。ゆっくり休んでね、おかえり。

エブエブ

「行ってきます」

 親族が一同に会するようなタイミングって本当になくなるもの、あるいはほとんどないものだ。冠婚葬祭はそういうものなんだなってひしひしと感じる。祖父母のご兄弟なんて、むしろこのような機会でなきゃ会えないもの。。。
 
 悲しさはもちろんある。未だに信じられてはいないもの。
 でも従兄弟たちや、祖父母のご兄弟に会わせてくれた、出会わせてくれた、自分を作ってくれた、おじいちゃんおばあちゃんありがとう。
 
 自由人だけど、やることはやるよう。出来ることなら、人を助けられるような。皆の孫として。行ってきます…‼

さくら


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