大人になっても
「きしもとたかひろ」さん、ご存じでしょうか。
関西で学童保育所で保育士をされている方で、彼が職場中に気づいたことをエッセイという形で本にされています。
かく言う自分も前職を同じような職場だったので、そこにアンテナを張っていたら、彼の作品に出合いました。
どんな仕事でも大変で素敵で、価値のあるものだとは思います。
思うだけで言うほどにはそれらを経験していないので、自分でも説得力に欠けるなぁとも思いますけどね。
できないことだらけです
子どもは大抵のことが出来ない。はさみできちんと物を切れなかったり、ボールを強く投げられなかったり、出来ないことに怒ったり。
仕事で接する分には頑張れる。ただこれを書いている現時点では家庭を持とうと思っていない自分には絶対子育て無理だー。
ただよく振り返れば、自分にも出来ないことが多い。
広義で言えば、「仕事」をしている。ただそれは、その場所の、その期間の、そのグループみたいな、ひどく限定的なものなのだ。
素人すること
大人になれば、子どもよりも経験も知識も付く。一方で、それに伴って選ぶことも、それまでに自分が経験したことを選んでしまっているなぁと。
適材適所という言葉もあるし、経年による成長があることも知ってはいる。
ただ、出来ないこと知らないことを、自分がしない知らないことを威張りたくはないと強く思う。知らないことがいっぱいだ。たくさん学ぼう。
知ろうとすること
スマホを開けば、たくさんの情報が流れている。youtubeのshortsなんてそれの典型例だなって。自分が中学生や高校生の時と違うのは、圧倒的に調べるまでの手数が少ないと感じる。身近になったとも言えるけど、手数がないから楽である一方で、少しでも遅いとイライラするって自分もいるし。
「知ろう」「知りたい」みたいな思いって、だんだんと薄まっている気がする。
高校生の時に洋楽に、はまった。
はまったのは、「Queen」と「Janis Joplin」。テレビで衝撃を受けて、ブックオフやらに行って、CDを買ってプレーヤーで飽きるほど聞いた。音楽プレーヤーに取り込むのは苦手で出来なかったので、耳コピして、登下校中歌いながら通っていた。
今はアプリさえダウンロードしてしまえば、いつでも聞ける聞けてしまう。CDで会えなかった歌手や曲に会えたのは嬉しい。だけど楽になって、お金も時間もかけなくて良くなった分、なんだか味気なくなってしまった。
移動とお金、アイデア
「移動距離とアイデアは比例する」という言葉が好きです。
自分としてはお金もここに加えていきたい。無駄には使えないけれど、なるべく動いていたいなぁ。