短編【マウリッツ】
「小説家α」
男は小さいころから物を書くことが好きだった。学校の課題の作文は、人一倍意気込んでいたものだし、大学を卒業してからも仕事と並行して物書きをしてきた。現実では起こりえないことが、小説では起きる、そして起こせる。しかも自分の手で、頭で。それが何よりも快感であると知ってからは、もう書くことをやめられなかった。
高校生の時に、美術の授業でこんなものを教わった。「現実では不可能な建造物」である。現実にはないものをなぜ描けるのだろうと不思議に思った。ないものをかく、という意味では同じだが、自分には到底出来ないことのようでとても感動した。作者である彼の名前はなんであったか。名前は思い出せずとも、彼が自分に残した功績はなんとも偉大だ。名前なんて些細なものなのかもしれない。名無しの自分でもこんな驚きを与えられるものを「書き」残してみたい。そう思い、ペンを取った。
「探偵A」
探偵はひどく疲れていた。言ってもナイフや銃を扱うようなものではないにせよ、一般人相手の尾行でこんなに歩き回るものだとは思っていなかった。仕事柄歩くことには慣れている。ひどい時は三日三晩ろくに休まずに歩き続けたこともあった。ただ昨日、相棒とも言える革靴が壊れてしまった。修理をお願いはしたが、依頼を受けていたため、やむをえず新しいものを買ったのである。ただ長く歩くにつれ、靴が踵に擦れ痛む。
探偵の依頼対象は、ある女だった。お父さんが娘を心配して、とのことらしい。ではなぜ、その調査を探偵である自分がしているのか。お父さんが言うには、夜な夜なめかしこんで出かけていくらしい。「お父さんそれは」といいたい気持ちを抑え、「それはとっても心配ですね」と心にもないことを仕事として淡々とセリフを語る。尾行はどちらかというと苦手で、後輩にからかわれたりもするが、今日の相手は一般人だ。気楽にやろう。
調査しにきた町は、探偵が普段住むところからは遠いところであった。それにしても彼女がいつまで歩くのであろう。ふと横を見ると、「ようこそ!マウリッツ村へ」という看板が見えた。あぁ靴擦れのせいか、頭が回らなくなっている。今日だけで何度もこの看板を見ている気さえする、少々急な坂を踏ん張って、登る。彼女が角を曲がり、姿が見えなくなる。
「観客B」
女は焦っていた。もう少しで、ミュージカルが開演してしまう。心配性な父親をよそに、やっとのことでチケットを買うことが出来た。会場はドレスコードが必須である。その煌びやかな服装に慣れないといけないと思い、片田舎のこの町で何度か歩き回った。町の人からは、大女優にでもなったつもりかという好奇な目で見られることにも慣れた。
そんな生活も今日で終わりだ。都会のこの町をこの服装で歩くことはなんとも清々しい。いつだってこんな町に憧れてきた。着飾って、誰かに認められたい。あの町に住んでいて、自分が強く感じたことだった。今日の演劇もある女性の歌い手が、醜悪な怪人に見初められて、階段を駆け上がる。そんな話だった。自分にもそんなことが起こらないか?と思わせる魅力があの劇にも強くある。
そろそろ劇場に着くはずだ。もっぱら土地勘もなく、めっきり地図をもむ自分もあてにはならないが。歩いているから疲れはあるけれど、待ちに待った興奮が足を止めさせない。坂を上り続けた先にある劇場まではもう少しであろうか。坂を上がるというだけなのに、距離が長く感じるのは人間の弱いところだと感じる。ただ一つ気がかりなことがあった。どうも嫌な胸騒ぎがする。家を出た時から何か、変な感じがするのだ。誰かに見られているような。いや、気にしすぎだ。興奮がそうさせるのだろうと、思うことにした。地図によればあの角を曲がると、そう書いてある。読める。少しだけ歩調を速めた。
「見習いC」
あの人はカッコいい、見習いはそう思っている。というかこの探偵業を始めたのも「探偵A」がいたからである。「探偵A」が明らかにばれっばれな尾行をしている時、世の中にはこんな変な人もいるのだなと思い、話しかけたことで二人は出会った。一緒に探偵業をするようになり、後からあれは尾行中だったと聞かされて、この人には向いてないと思いつつ、なんだかんだこの仕事を続けている。
今日は尾行の練習という事で、先輩であるAを尾行している。さしずめ尾行の尾行と言ったところか。Aにバレずに、今日一日尾行できればオーケーだ。それにしても、調査が当初の予定よりも時間がかかっている。予定では、調査対象が目的とする場所にたどり着き、服装などの理由を父である依頼者に伝えるだけで良いはずだ。でも、これだけ歩くこともなかなか珍しい。
Cはあることに気が付いた。同じ場所をぐるぐると回っている。もちろんCもこの町に来るのは初めてであり、最初は同じような場所もあるのだなと思っていた。しかし、違う。明らかに同じ場所なのだ。Aに言い出したい気持ちもあるが、尾行の尾行でも仕事は仕事であり、なんとも歯がゆい気持ちになる。現実ではありえないことを考えても仕方ないか。
「小説家α」
小説を書き終えた後、ふと彼の名前を思い出した。「エッシャー」である。重力が存在しえない世界観、永遠にそこだけで流れる滝、無限循環の世界。自分もいつか彼のように名を残せれば、名もない田舎村に自分の名が付いたりするのであろうか。なんて妄想もたまには良いものだ。小説であれば、夢も現実に出来る。ふぅと息を吐き、小説家はペンを置いた。
「ビボ」
書くの疲れる。第二回、こうご期待。終わらせて、よっしゃー。