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余波

「要は」

 12年というと、干支一周だ。ワールドカップなら三回。その年に生まれた子どもは小学生を卒業するのだから、長い年月であるように思う。

 東日本大震災から12年が先日経った。経ってしまった。
 当時僕は高校一年。確か数学の授業を受けていた。
 長い揺れの後、グラウンドに出ると、サイレンが辺りで鳴っていた。恐怖というまでのものは正直感じなかった。いや、感じることが出来なかった。その時はまだ事の大きさを理解も知るすべもなかったから。

 夜は高校に泊まることになった。泊まりたい気持ち以上に、家族のことが心配で、担任の先生に無理を言って、帰らせてもらったのを今でも覚えている。先生も心配していてくれていた。その時はごめんね。

 家に帰る途中は外灯もほとんど着いておらず、ガス局は電気がついていた。今思えば、職員さんが働いてくれていたのだろう。その時はそれすら考える余裕もなかった。
 星だけはやけにきれいで、車が走らない大通りの真ん中を多少ハイになりながら自転車で帰ったなぁ。

「世は」

 あっという間に12年間過ぎた。
 自分はこの震災で近しい人を亡くしてはいない。俗に言う被災者なのかはよく分からない。その時宮城にはいたけれど、いただけだから。震災の話をするとき、僕は当事者なのかそうではないのか。もやもやして、その答えを誰かに求められることはないのだけれどね。

 この月になると多くなる震災関連のニュースはあまり見られない。大切なことだと分かっている、見るべきだと思うのに、苦しくなってしまう。自分の知らない誰かが亡くなったことそれ自体ではなく、亡くなったと思うことがとても悲しい、そしてやりきれない。

 二つ上の段落で、自分はすっと「この」震災と書いた。いずれ自分も「あの」になるんだろうか。遠くなることが悪いことってわけじゃないけどさ。想う機会は減っていると感じる。去年はニュースを見て、苦しくなっていた。自分からはあまり見ないようにしているのもあるけれど、今年はそうならなかった。報道も減っているのかな。沿岸のほう、最近あまり行けてないなぁ。

 

「余波」

 タイトルが思い出せないのだけれど、高校生の時に読んだ小説に、「その子の命が溶け出した波」みたいな表現があった。波を見たときに、たまにこの言葉を思い出す。あと、この小説のタイトルを知りたいです。

 大学在学中、社会人になるとき、なってからもずっと震災からの復興とかは言われ続けていたように思う。あの震災は東北にいる、いたひとにとっては、決して逃れられないようなとても大きい余波のようなものではないか。何かのスタートの理由にも、何かの終わりのきっかけにも全て紐づけされてしまうような。

 実際そんなことはないとは思うし、思いたい。それでも自分は今、こうやって書いている。何かを亡くされた方たちがいる。工事は行われているし、お金だって使われている。今行う事、考えていること全てが良いものになるとは思わない。けれどせめてその方向、使い方は正しいものであってほしい。

たがため

 忘れる生き物の人間にとっては、12年は十分すぎる時間だ。自分が働いていた事業所に6年生の男の子がいた。その子を境に下の子は、震災が生まれる前の話ってわけだ。自分だってあの日々を鮮明に覚えているわけではない。忘れたくないから、何度も思い出すことをしたい。事実を捻じ曲げいいわけではないし、そうしたくもないのだけれど、もう自分も歴史の証人みたいなもんなのかな。

「 」余白

 この文章を書くために、色々と考え事をしながら最近過ごしていた。だけど書けば書くほど分からなくなりました。もっと書くことあるんじゃね、みたいな。すっごいもやもやしている。。書くことで、今まで考えていたことがスッキリ(?)するのかな、なんて思って書いたけど、全然そんなことないね。なんだかんだ、ノートも続けているなー。PS あのちゃんは好きです。

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