折角だから過去に書いたのを救出してみるシリーズwその①

noteの下書きと自分のドキュメントに思い立ったときに書きかけたであろう記事が散見しておりまして。
頑張って書いたのに眠らせとくのもったいないから公開しようかと思いますw
ただ、あまりに尻切れトンボだったので今更書き足すんだけどまぁ何書こうとしたか覚えとらんwww
なんとなくで書きたしてますが違和感あってもスルー推奨でwww

支配とコントロール

【上か下かなんて誰が決めたの?】

誰にでも得意なこと、苦手な事があります。
でも本当はそれは悪いこと、良いことで分類されるものではありません。
人は人口の数だけ個性があります。
誰一人同じ人など居ないのです。
その中には
苦手なものが多い人
得意な事が多い人
ジャンルが偏っている人
すべてバランスが整っている人
それぞれ居ます。
人は社会生活を送る上でどうしても社会通念や常識、ルールを重んじるようになります。
それが「自分という個性以外の個性と生活するため」必要になるからです。
ただ、大元はそれは「他人や自分という一個人ずつそれぞれを尊重し合いながら護っていく為の智慧」であるはずなのに
それを逆手にとって自分を優位に立たせるための強引な手札にする人が出てきます。
それは大きな枠のコミュニティに限らず、親子、恋人関係、夫婦関係、友達関係、学校、職場でも起こり得ることです。
そこに生まれるのは何か。
それは相手の意思を無視したコントロールです。
自分優位のまま関係性を成り立たせたり、維持していくためには相手をコントロールする必要があります。
相手が良心から逆らえない状態を作り、自分は優位な立場から関係性を支配します。
そして、徐々に支配された側は社会通念、常識、ルールという言い訳のもとに本来持っているはずの個性を1つずつ潰されていきます。
最終的には支配された側は良く分からないストレスを感じながら個性というアイテムを削り取られていき、その関係性における自分という個性を持つことを諦めます。
最初は支配した側にはそれでもいいかもしれません。
でも支配されている人が支配されていることに気付き自分も尊重されるべき個性を持った存在だと気づいたら、そのコントロールで築かれてきた関係性は簡単に崩れていくでしょう。
更に信頼関係崩壊というおまけつき。
歩み寄る事と依存する事は違います。
支配する側は支配される側に
支配される側は支配する側に
それぞれ依存した状態だと
自分で何も考えなくても良くなるので、ストレスがありながらも続けてしまう。
ただ、この関係はどちらかが気付き手放す努力を始めると一気に崩壊します。
ふと、自分の関係性を見直したとき、それが支配されたりしたりしていないか、力による共依存になっていないか、相手をコントロールしていないか、されていないか、ちゃんと見極める必要があります。
特に相手の苦手なことが自分の得意なことで有ることをいいことに、相手を下に従えようとしていないか、とか、自分の苦手に向き合うのが辛いから、自分の苦手を得意な人に取り入って、自分を卑下して言い訳にしていないか、です。
この「良くない方にバランスが良い状態」は結果的に部の悪い方にレッテルを貼ることになり、他の事で得意なことがあってもそれを忘れて上下関係を確定させてしまいます。
もう、そうなるとお互いに本来の自分では生きれなくなってしまうので自分がどうしたいか、本当はどういう自分になっていたいかも忘れていって負のループに嵌まります。
だからこそ、苦手なことがあっても私、得意なことがあっても私、本来混在するのが私。
どれも良いも悪いもなく私。
そしてそれは他人も同じ。
そういうことに早めに気づかないとしんどい人生が続くことになります。

自分が支配していないか、されていないか。
自分がコントロールしようとしているか、いないか。
自分の長所も短所も、相手の長所も短所も、それがその人だということを忘れないように尊重しあい補い合い、お互い心地よく過ごせると世界も平和になるだろうと思います。

あなたの周りの人との関係性はどうですか?


え!?さ、さぽーとしてくれる?う、う、う、うれしい/////励みになります✨