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大学受験の初日を終えて 2月1日

昨日一校目の受験が終わった。
それは私の人生に大きな影響をもたらすであろう1日。

6年前の昨日、私は絶対に受かるはずの受験に失敗している。
あの日以来、2月1日は私のトラウマになった。

あれから何度その日を迎えただろうか。
2月1日を意識するだけで私は苦しかった。

それは母親や塾の期待を裏切ってしまったという自己嫌悪。

母親がおかしくなるのを見ていて、私は自分の失敗の重さを感じた。
自分だけ塾に報告に行けなくて、住む世界が変わったのだと分かった。

それまでの、肩書きだけで対応が変わる世界、
最初から“出来る人間だ”という色眼鏡で見てもらえる世界、
誰にも見下されず、全員が認めてくれるような世界、
自分がそんな恵まれた世界に居たことを、外に出て初めて知った。

そんな世界に私を置いてくれた母親の愛情と、
その世界に私を置くことのできる父親の地位を理解し、
そのことに感謝と尊敬を覚えた。
だからこそ、同時に、私の失敗は
母親の愛を裏切り、父親の努力を無駄にしたのだと思った。

これが抽選なら私の苦しみもそこまででは無かったろう。
でもこれは受験、実力の世界。
純粋に、他人より頑張ったか頑張らなかったか。
それが結果に現れる。

私の指導者は他人のそれより遥かに優れた人だった。
私の母親はあり得ないくらいの愛情を私に注いだ。
私の父親は何百万という単位を文句も言わずに出してくれた。

全てにおいて私は恵まれ、全て隙なく揃えられていた。
なら失敗の責任は全て私にある。

彼らには私を責める権利があった。
彼らには私を従わせる権利があった。
なのにそうしなかった。

“私は待ってるから”
“大学でも、高校でも、納得のいく結果が出たら持っておいで”
塾の先生が言った。
こんな落ちこぼれにまだ期待してくれる優しさが辛かった。

“これで終わりじゃ無い”
“失敗は失敗と受け入れて、ここからは大学に全力を注ぎなさい”
母親が言った。
気持ちを裏切った私をまだ応援してくれる愛情に泣きたかった。

“やりたいようにやれば良い”
“望むなら金は出してやる。それが親の仕事だ”
父親が言った。
自分の選択で失敗した私に機会を与える度量に申し訳なさを覚えた。

失敗したのに誰も私を責めなかった。
思う所もあるだろうに、何も言わずに励ましてくれた。
失敗した私に、まだ期待してくれた。
そんな人たち。
だから、私は6年前の失敗を引きずり続けている。

私にとって2月1日はそんな特別な日。
目を逸らしながら、心が離れてくれない、そんな日。
この日だけは何もしないようにしてきた。
縁起が悪いから、これ以上は要らないから。

なのに今年はその意識が働かなかった。
1日〜3日まで選べる試験日、認識していた筈なのに1日を選んだ。
受験票を確認して、1日という表示を見て驚いた。
その後の反応もおかしい。
普段なら逃げている場面、今年は逃げようと思わなかった。
やるしか無い、という覚悟と、やってやる、という決意。

いいだろう、やってやろうじゃない。
急にいつもと違う選択をした体も、
突然不可解な動きを見せた心も、
ひっくるめて全部が私。私の行為の責任は私が取る。

今年も受かる筈の学校を受ける。6年前と状況は変わらない。
6年前の雪辱を果たして見せよう。
6年間待たせた塾の先生、
6年間悲しませた母親、
6年間投資させた父親、
全ての思いに報いて見せよう。

ここは第一志望じゃ無い。でも第一志望よりも大きな意味がある。