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続:父似のち、母似のち、自分になる


母の背中が丸まってきた。
寒くなってくると特に辛そうで、朝起きてしばらく動けないという。
見ている方も辛いほど。
そばにいる時は背中を摩ってあげたり、伸ばしてあげたりするが、離れて暮らしているので、そんなことをしてあげられるのは年に2、3回だ。


そんな母に似てきたのだ。
思い当たるのは「わたしは猫背だ」と言うとこ。
猫背と言うと原因はひとつ、
「猫のように丸まった背中」を気をつければいいと思いがち。



猫背は人によって違うと思うが、わたしの猫背には少なくとも5つのことが隠れている。
わたしが把握しているのは「巻き肩」「ストレートネック」「骨盤の後傾」「肺の圧迫」「消化器の圧迫」
専門家がみたらもっとあるのではないかと思う。



そもそも、わたしの猫背は小学校5年生からはじまった。
鮮明に覚えている。
わたしの両親はわたしが5年生くらいの時に離婚している。
体格の良かったわたしはその頃、生理が始まり、胸も膨らみ始めた。
4年生の頃からミニバスケットをやっていて、胸の揺れがとても気になっていて、そのことを誰にも話せずにいたのだ。
おばあちゃんもいたし、なんならひいおばあちゃんもいたけど、恥ずかしくてそんなこと言えなかった。
もちろん、父親になんて言える訳もなく、自分で考えて解決するしかなかった。
これだ!と考え出したのが背中を丸めることだった。
背中を丸めて、胸の揺れを目立たなくすることだった。
なんだか書いてたら切なくなったけど、その頃は切なくもなく、必死にそんなことを考え、実践していた。
「ブラジャー買って」とは言えなかったのだ。



その後、まわりの友達の身体も成長していき、ブラジャーをつける子がちらほら出てきて、ようやく仲良しの友達と近所のイトーヨーカドーに買いに行った。
だけどその後もなんとなく背中を丸めるのが癖になっていた。
そして極め付けはマンガの主人公たちだった。
その頃みんなが夢中になっていたのが「別マ」と言われる「別冊マーガレット」というマンガ雑誌。
その人気連載の中に「ホットロード」と「POPS」と言うのがあった。
わたしの周りはみんな「ホットロード」がすきだったけど、わたしは断然「 POPS」派だった。
そこに出てくる春山や三島と言う男の子たちが細く、猫背気味に描かれていたのだ。
田舎の中学生にそれが刺さったのだ。とってもカッコよく見えた。
「猫背=かっこいい」が胸に刻み込まれ、わたしの猫背が出来上がったのだ。



猫背生活も随分板に付いた40才の頃、頭痛というものがわたしを襲った。
実はそれまで「これが頭痛」と思えるほどのことがなかった。
基本的に健康で風邪もあまり引かず、把握する限りインフルエンザにもかかったことがなかった。
そんなわたしが頭が痛いとなった。
風邪かと内科へ行ったけど他の症状もなく、神経外科へ行くようにと言われ行ったけどそれでも理由が分からず、ついには脳外科へと案内され、MRIを撮った。
結果はどこを見ても異常がなく、強いて言えば「ストレートネック」かな。と言われた。
その時初めて「ストレートネック」と言うものを知ったのです。


言われて初めて調べ、手を回す運動やら、姿勢改善を試みた。
試みたが30年この姿勢でやらせてもらってるわけで、そんな早々に治るわけもなかった。
なかったけど、なんとなく頭痛は消えていたのです。




そんな事があってさらに数年。
今度はぎっくり腰を発症した。
掃除機をかけようとネックを持った瞬間に「ピキッ」となり、立ち上がれなくなった。
その時は近所の整体に駆け込み、とりあえず数日安静という事で帰ってきた。
ここから数年はこのぎっくり腰が定期的にやってくると言う状況。
そろりそろりとやり過ごす事数年、今度は前方の股関節に激痛が走ったのだ。
忘れもしない書籍撮影の3日前だった。
今回の痛みは涙が出るほど痛く、と言うか本当に痛くて泣いたのだけど、強烈な痛みで立ってられなかった。
夫不在、なんなら地方にいて、息子保育園。
この痛みをどうすればいいのか分からず、台所の床に突っ伏した状態で2時間くらい過ごした。
「仕入れに行けない」「撮影できない?できないよねこの痛さ」「そして息子を迎えに行かねば」「でも痛くて動けない」とぐるぐるぐるぐる。
この時は一山向こうに住む友人に息子を迎えに行ってもらい、なんならごはんも食べさせてもらったような気がする。痛すぎて記憶が曖昧だけど感謝しかない。
そしてわたしのぎっくり股関節はと言うと、今もお世話になっている療法院で撮影できる程度に処置してもらったのです。
撮影も松葉杖をつきながらですが、なんとかやり切ったのを覚えています。



母の丸まった背中を見て、わたしに起こる現象を体感し、わたしもこうなるだろうと予測したのです。
でもわたしは、旅もしたいし、お店もやりたい、キャンプも行きたいし、登山だってしたい。
やりたいこと、行きたいところが山のようにあるのだ。
死ぬ直前まで自分が思い描くように動きたいと思ったのです
「痛い」「辛い」なんて言っている暇はないのだ。
その場しのぎはもうやめよ。
根本から自分に向き合おうとはじまったのです。



ものすごく長くなったのにまだ続く。
ここまで読んで下さったみなさま、本当にありがとうございます。
写真は自分と向き合うようになって始めたウォーキングのようなランニング途中の空。
いつもこんなのを見ながらゆるゆる走ってます。




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