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本当のごちそうさま。

わが家の台所の北側には小窓があって、その窓のすぐ先は畑になっています。
畑には季節ごとに野菜が育ててられていて、今は夏に植えられた大根が隙間なく葉っぱを広げています。
その大根の葉っぱの奥にケヤキの木が4〜5本あるのですが、どれも大木になっているから、ちょっとした森のような存在になっています。


緑豊かに茂っていたケヤキの葉っぱもここ数日で全体的に色づきました。
降る雨に、その黄色い葉っぱもハラハラと散り始めました今朝。


わたしはそのケヤキを見ながら1人で朝のごはんを食べるのです。


晩ごはんは家族3人で食べる事が多く、お昼ごはんもフリーランスの夫と一緒。
ごはんの時間は誰かしらが喋っていて、それは主に息子なのですが、、
中1の息子がごはんを食べずに喋り倒し、最後に怒られると言うのが大体のオチ。
良くも悪くもワイワイ、ガヤガヤな食卓なのです。
それはそれで楽しいし、きっとこの食卓の状況もあと数年なのだろうと思うので大切に思っています。


そんな訳で食べる事に集中すると言う事がほぼない生活。
そんな中でも1人で食べるごはんと言うのが平日の朝にあります。
そんな貴重な時間なのに、ついこの間まで何かの情報を入れながらごはんを食べていました。


そんなある日、ふと、何も見ずに、何も聞かずにごはんを食べようと思ったのです。


 
イスを引き、小窓に向かって座る。
食卓のイスに座るとケヤキの木が窓いっぱいに広がるのです。
それを見ながらごはんをいただくのが最近の朝。



何度か沸かして香りが飛んだ味噌汁は風味は落ちているけど、具材にしっかりと味噌の味が馴染んでいるのです。
全部がくったりとなった味噌汁をすすると、とても小慣れた味になっていて、作り立てにはない美味しさ。
この味は家族がいるからの美味しさなんだろうな。
とじんわりと心も温かくなって、その味噌汁をとても愛おしく思ったのです。



味噌汁とごはん。それだけの朝ごはんなのですが、とても豊かに感じたのです。
それを作った自分も、その先にある色んな人や事にも感謝の気持ちが湧きました。
みんなありがとう。
と、思ったら、自然と「ごちそうさまでした」と言葉が出たのです。
ひとりっきりだけど、誰も聞いてないけど、心の底から「ごちそうさま」。と思ったのでした。



その日から毎日声に出し「いただきます」と「ごちそうさまです」と言うようになりました。


50才を過ぎてやっと本当の「いただきます」と「ごちそうさま」を言えるようになったってお話しです。







 






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