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実は綺麗事が嫌いだった
「頑張れ」「できるよ」「きっと大丈夫」
そんな言葉が嫌いだった。
努力は必ず報われる?
ポジティブに生きれば幸せになれる?
そんな保証、どこにあるの?
つらい人生だったからこそ、
こういう“キラキラした言葉”に嫌気がさしていた。
頑張っても報われなかったし、
大丈夫じゃなかったことだってたくさんあった。
むしろ無責任に希望を押し付けられるたびに、
心が荒んでいく気がした。
捻くれていると思われるかもしれない。
「不幸な人間だな」って思われるかもしれない。
でも、仕方なかった。
私にとって「頑張れ」は、
ただの綺麗事でしかなかったから。
変わるきっかけをくれたのは、我が子と夫だった
そんな荒んだ心を少しずつ変えてくれたのは、
我が子と夫だった。
子どもは生まれながらにして無垢で、
ただそこにいるだけで愛おしい存在だった。
夫はどんなに私が不安定でも、
離れずに余計なことは言わずそばにいてくれた。
彼らの存在が、「頑張れ」とか「大丈夫」とか、
今まで拒絶していた言葉を、
少しだけ受け入れられるようにしてくれた。
もちろん、まだ完全に浄化されたわけじゃない。
今でも綺麗事が嫌いな自分はいるし、
簡単に「大丈夫」なんて言えない。
でも少し思う。
「いろんな人の言葉を受け入れてみてもいいんじゃないか?」って。
受け入れたからって、不幸になるわけじゃない。
むしろ今まで拒絶していた分、
少しだけ楽になれるのかもしれない。
綺麗事がすべて正しいとは思わない。
だけど、全部を跳ねのける必要もないのかもしれない。
そんなふうに、今は少しずつ考え方が変わってきた。
言葉は人に大きい影響を与えるし
何気ないたった一言の言葉で
良くも悪くも一変することもあるから
気をつけないといけない
って思いすぎて上手く言葉にできなかったり
疲れてしまう自分はめんどくさい生き物ですね。
ではまた👋