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拝啓、ドトール天国支店の私へ

2014年の写真だ。
当時大学4回生だった。
一晩中眠れず、早朝自転車で下宿を飛び出し、たどり着いたファミレスの窓からの景色だ。飛行機雲を撮りたかった訳ではなく、その頃の私は屋上を吟味することに執着していた。
有り体に言えば死に場所を探していた。

先に謝っておくと、そこまで暗い話でもない上に、自分語りが過ぎることを許してほしい。私が何故こんなにもドトールを愛しているかそこに至る経緯を書きたいだけなのだ。お問い合わせフォームから直接送るには恥ずかしすぎるし、なんだか様子がおかしい人という自覚も、愛が重すぎる自覚もある。けれど10年あたためたこの想いを今叫ばずにいつ叫ぶのか。いつか叫ぼうと決意した獣も社会に揉まれる内にその余裕が無くなった。だがしかし今は無職だ。時間ならある。しかし命は有限だ。災害や震災でいつ何時突然死ぬかも分からない。推しは推せるときに推そう。感謝をしよう。以下、そういう気持ちでしたためた独り言である。


大学生活はとても充実したものだった。
いわゆる陰キャで、学部にはあまり馴染めなかったが、バイト先ではよい友人たちと出会えた。
森見登美彦ばかり読んでいる京都の腐れ大学生の1人だった。
振り返っても、今のところ人生の中で一番良い季節だったかもしれない。
しかし3回生の夏の終わり、いつかは爆発するであろうと言われていた持病が爆発した。
遺伝性が強く、女性に多い病気で、数年前から症状は出始めていたが、就活ストレスをきっかけに活性化してしまったのだと思う。

とにかく汗をかく。
座っていても、冷房がガンガンに効いていても汗をかく。
少し歩くだけで手足に力が入らなくなり痙攣する。
人前で文字を書くのが恥ずかしくなるほど、ペンを握る手が震えて文字が書けない。
髪がごっそり抜ける
生理が止まる。
物が覚えられない。ぼんやりする。鬱っぽい。
その病気の特徴である「何もしなくてもおそろしいスピードで痩せる」という症状だけは持ち前の胃腸の頑丈さが祟り、いくらでも食べれてしまったため痩せなかったのが悔やまれる。
ここまででうんうんと頷いてくださる方は同志か、周囲に同じ病気の方がいる人だろう。
「甲状腺機能亢進症」
簡単に言うと、甲状腺ホルモンが過剰に分泌されることにより、代謝がバカみたいに上がる。座っているだけなのに全力でマラソンをしているのと同じ状態になる病気だ。代謝が良すぎて骨も再生が間に合わずカスカスになる。筋肉も溶ける。
人によって出る症状に差はあるが、とりわけ私が辛かったのが「不眠」だった。
怖いんですよ、不眠。
突然敬語になってしまうくらい。
もともと眠りが浅い人間ではあったけれど、本当に寝れない、は体験したことが無かった。
3日4日1睡もしていなくても授業はあるしバイトもあるし就職先も決めなければいけない。持病のこともあり、Uターン就職したかったため下宿から片道6時間の実家まで何度も往復……を結局卒業まで繰り返した。

そんなこんなしているうちに疲労がどんどん蓄積してきた。脳はしわのひとつひとつにゴミが挟まったのかというくらい使い物にならなくなった。
その頃取っていた中国語の授業で、文章を暗記して空で唱えないと単位が貰えないというのがあった。もちろんろくに寝れないし覚えられる気もしなかった。深夜から日が昇るまで7、8行程度の文を1週間暗唱し続けたが1文も覚えられず、暗唱テストの当日、教卓の前でガチ泣きした。
人間ってご飯食べて寝てれば大抵のことって何とかなるは本当の本当に事実で、この世の真理であり、逆にこのどちらかでも蔑ろになると大抵のことは上手くいかなくなる。
寝れない、何をしても寝れない。
通院して6錠も同じ薬を飲んでいたが面白いくらい寝れなかった。
寝れないと人って思いついてしまう。
自分でもびっくりするくらい唐突に、あっ死のう って。

そこから深夜徘徊が始まった。
寝れないのに一晩中ベッドの上にいるのは耐えられなかった。
テレビもラジオも放送が終わって私を一人にする。5時半になると必ず近所の鳩が一斉にホウホウと鳴き出すのを聞くまでのルーティン。
動悸が病気の症状なのか将来への不安からなのかもはや分からず、毎晩泣いているのも嫌になった。
常識的に考えて女子大生が深夜の3時とか4時とかに外をうろつくのは危険極まりないので推奨しない。しかし私はじっとしていられなかった。
ひたすらに朝まで練り歩く日々、夜空を見上げればマンションの屋上が目に入った。なるほどと思った。ほとほと疲れていた。

下宿に帰り屋上への階段を登った。当然ながら最上階手前の踊り場には頑丈な鉄扉があり、鍵が掛かっていて開かなかった。
本当に気が狂う寸前だったのだと思うが、私はそこでクリップを取りに部屋に戻った。
クリップを伸ばして鍵穴に出鱈目な角度で何度もねじ込んだが、もちろん開けられるはずもなかった。
そもそも飛び降りたところで死ねるか微妙な高さだった。
実際飛び降りる覚悟も無かっただろうから、開かなくて本当に良かったと思う。
諦めて他の屋上を探すべく、深夜徘徊は続いた。
京都という町は実に素晴らしい場所で、景観保護のため背の高い建物自体が中々無い。ここならひっそりと確実に死ねると思える場所が私には見つけられなかった。見せ物にならないような静かなところで死にたかった。京都は賑やかな場所でもあった。
なるべく人通りの少ない場所ばかり選んで歩いていたので、その日たまたま大通りにでて歩いたのは何故だったのか。私の生存本能はまだ息をしていて、私を生かそうと躍起だったのかもしれない。なんにせよ運命だった。

そこにはドトールがあった。
深夜にもかかわらず燦然と闇夜に光を投じていた。

その店舗は大学に程近く、ガソリンスタンドと併設しており、日中は車の出入りも激しかったため影が薄く、存在は知っていたがあまり立ち寄ったことも無かった。24時間営業……そういえば入学してしばらく経った頃、初めて訪れた時に、自動ドアの営業時間を、二度見した、気がする……
まさか本当に24時間やってますっていうこと?
吸い寄せられるように店内に入ると、深夜にもかかわらず学生の一人客が何人かいる。レポートを書いているのか、ノートパソコンをカタカタやっていたり、資格試験の教科書を広げていたり。店員さんもおそらく同じ大学の学生で、暇を持て余してバイト同士楽しそうに雑談をしていた。
ふらふらとカウンターまで歩いて行きぽかーん、としていると、
「店内でお召し上がりですか?」
店員さんが声をかけてくれた。
その時何を頼んだのだったか、おそらくアイスコーヒーとミラノサンドBだったと思う。
「ごゆっくりお召し上がりください」
受け取ったクリーム色のトレイをひっくり返さないよう、力の入らない痙攣する腕で席まで運ぶ。
着席すると、店員さんは各々仕事をしながら雑談に戻り、私の後にはしばらく客は来なかった。
店内から外を見ると真っ暗で、日中混雑しているガソリンスタンドは消灯している。この店の周りだけがカンロ飴の中にいるようなまろい暖かな光で満ち満ちている。数回瞬きをしても、心地良い覚めない夢の中にいるようだった。
小さく漏れ聞こえてくる店員さんの話し声
個々人で何か自分の作業に集中している客たち
有線から流れる謎に落ち着くボサノヴァ
そして何よりも、美味しいコーヒー

冗談抜きで、助かった、と思った。

とうとうオアシスを見つけた砂漠の旅人ってきっとこんな気持ちなんじゃないだろうか。
誰も何も私に干渉しない、けれどこの空間が、私がゆっくりしたければ別に朝日が昇るまでここにいても構わないという内包性を持ってして、私の心を、本当に久しぶりに緩めさせた。そういう雰囲気が、10年前のあの深夜のドトールにあった。
日中なら店の回転率を考えて長居に遠慮心も生まれただろうが、深夜なら席も沢山空いていると思うと罪悪感も薄れた。まあ店側からしたら長居する客は普通に迷惑だと思う。その節は大変申し訳ありませんでした。

あの日、助からない助からないと苦しんでいた私は私から分離し、ドトールの店内で成仏した。おそらく天に昇って逝った。
とかく私が探していたのは死に場所ではなかったのだなと、回らない頭でなんとなく理解した。




卒業する頃には体調も少し落ち着き、心が保たない夜があればドトールが私を生き長らえさせてくれた。
闘病は孤独だ。
どんな病気であれ、なった本人にしかその本当の辛さは理解することができない。家族でさえそうだ。誰にだって人の地獄は分からない。
医療従事者として働き、病院の待合室で、知り合いと持病自慢大会や、ここが痛い大会を大声でしている人生の先輩方をよく見かけた。不謹慎だが非常に羨ましいと思った。
歳を取れば皆何かしら体のどこかにガタは来る。体調不良の話はいつしか共通の話題となっていく。しかし大学生だった当時の私の周りは健康な若者ばかりで、病気の愚痴などは同年代の友人知人にしても困らせるだけだった。本当の意味では理解されずとも愚痴を言い合える相手が欲しい。
孤独だと一人すねている若かりし日の私の居場所はいつもドトールだった。

ちなみに甲状腺疾患はうつ病と間違われやすい病気でもある。心療内科に通っても良くならず、なんだかえらく落ち込んで急激に痩せたなんてことがあれば、近くの内科でもなんでもいいから取り敢えず病院で甲状腺の採血をして欲しい。それで助かることもあるかもしれない。
もう突然、死のう!とあの頃ほど発作的に思いつくことは無くなった。ただいい感じの屋上を探してしまう癖だけが残った。
薬の作用で体重は20キロも増え、とうとう就活も上手くいかないまま大学を卒業し地元に帰った。
散々な状況だったが、結局その年丸々身体を労りながら就活を続け、すべてが嫌になってくるとドトールに通い、そんなこんなで年明けには良い職場に恵まれた。



発病から10年過ぎた今、あの時の自分はあれで良かったのだ、と思えるのは何故だろう。
それはひとえに生きているからだと思う。
今も完治はしていないため、もちろん精神的にも身体的にも辛いときは多々ある。
でもそんな時、ドトールのホームページを見たり、Xでドトールに行った人の投稿を検索したりするだけで気持ちが上向きになる。もはや信仰じみてきたが安心してほしい。これは愛です。
あのとき助けていただいた鶴です。愛の押し売りに来ました。生きていれば最寄りのドトールに、死んだとてドトール天国支店に通い詰めるであろう鶴です。

詳細は省くが、再び無職となった今、新卒時代とは違ってまだお気楽な無職ではあるものの当時を思い返すことが多々ある。
京都は喫茶店が沢山あって、学生時代にそれらを巡れるのは非常に幸せな事だった。趣味でもあった。
人は人生において必要な時に必要な人と出会う、などとよく言われるが。
もしかしたらあの時、24時間営業の、ドトールではない喫茶店と出会っていたなら、私はそれでも救われたのかと考えたことがある。
救われたかもしれない。
けれども今なお私を支え、日常に寄り添い、苦しい時には居場所になってくれるドトールだからこそ、と運命を語らずにはいられない。

あのころの私よ、お前は大丈夫だ。
24時間営業じゃないけれど、田舎にもドトールはある。
そう、ドトールはチェーン店なのだ。







ちなみにドトールは季節や時間帯ごとに流れているBGMが変わります。素晴らしい環境づくり恐れ入ります。店内で曲名が気になればこちらから↓

ほかにもドトールのポイントカードがまじお得な話とかブランドスローガンが染みる話とか珈琲はドトールしか勝たんという話とかそもそもドトールという空間そのものが愛という話もしたいけど始めたら止まらなすぎて大変なことになるから各自ホームページ参照の上ご検討ください(なにを?)


追記
2015年のミラノサンドB海老とアボカドのごろっとサラダ、あのピンクペッパーが乗ったやつ、がまた食べたいドトールヲタクなんですが復刻とかしないかなぁ……

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伏見 王里
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