宗教と連れションとキックボクシング(とSPAZZ)
今日、新興宗教の勧誘を受けた。
最近知り合った人に「日本食スーパーにつれてってあげるよ」と言われ、
ついて行った先が豪華な宗教施設だった。
昨年のクリスマスにも別の新興宗教の勧誘を受けた。
「日本語話せる人歓迎!」というクリスマスパーティーの告知を見た。
どうしても友だちが欲しかった私は手作りブラウニーを持って参加した。
ゲストは私だけだった。
ターキーを食べてブラウニーで締めたあと、勧誘が始まった。
このほかにも、何度か似たようなことが過去にあった。
しかし日本ではこんな経験をしたことがなかった。
全部サンパウロ。
それだけブラジルでは社会不安が広がっているのだろう。
何かに救いを求めているのだと思う。
勧誘したのはみんな私と年が近い女性ばかりというのも生々しい。
ここサンパウロで長く関係が続いている人はみんなキックボクシング界隈。
私と年が近い女性もわずかだがいる。
だが強いていえばカトリックのお葬式について好奇心で聞いてみたくらいで、古来からある宗教の話題ですら私たちの間で全くあがらない。
キックボクシングは何かにすがりたくなるような社会不安を
解消してくれる効果があるんだろうか。
それにしても、勧誘されていると気づいたときの落胆はこたえる。
相手はおそらく元々勧誘するつもりで近づいて来ているんだろうけど、
私は友だちになりたいと本気で思っている。
私の誘いを断る人/信じるものが違う人とは目を合わせることすらしたくない、とでも思っているのだろうか、悲しいことに、勧誘を辞退したあとも関係が続いたことはない。ジ・エンド。テルミノウ。私はただ友だちになりたかっただけなのに…と失意とともに帰宅するのが毎度のパターン。
これって、小5のとき突如始まった連れションブームに似ている。私は用を足すのになぜ他人を連れて行くのか全く理解できなくて、全ての誘いを断っていた。何なら「トイレぐらい一人で行けば?」と口に出していたと思う。今思えば女子の中で浮きグセがついたのも多分この頃。トイレに一緒に行かない子は仲良しグループに入れないという暗黙の了解。あなたが用を足すところは見たくないけど友だちになりたい、という願いは届きづらかった。
信じるものが違っても、人間関係を築きたい。
2年前、(少なくとも私のtwitterのTL上で)大きく話題になったthe match天心vs武尊戦。私は武尊選手を応援していたけど、天心選手を応援していた人とも友だちになれる。絶対。SPAZZのアルバムはSweatin' to the Oldiesがもちろんベストだけどそれ以外のアルバムがベストだって言う人とはちょっと議論が生まれそうだけど友だちになれる。何かに救いを求めたいならキックボクシングを始めるべき。会話の内容が体重が減っただの増えただの何km走っただのばかりになるから。
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