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ひまそらあかね(3)誰よりも

同じ流れの中にいた人でも、違う思いの人がいただろうなと想像している

真面目に活動している人に連帯しないどころか、足を引っ張って邪魔をする不届者がいると怒りを覚えた人もいるだろう

言ってることは分かるけど、極端過ぎると感じた人もいるだろう

こじつけだろうと不審に思う人も、喧嘩はネットの華だとワクワクした人も、黙って証拠を見せれば終わるのに何やってんだと苛立った人もいるだろう

その違いはどこから生まれるのだろう
認知から生まれる

私の場合、ボランティアに携わる人には博愛性があって当然だという思いがあった
公金を使うからには全て領収書を揃えるのが筋だろうという考えがあった
私の認知がそうであったから、私はWBPCと呼ばれる人たちに憤りを覚えた

違う認知の人が意外にも大勢いたのだろう
WBPCの味方をする人もちゃんといた
暇空茜さんの言うことはデマだと言っていた

これはなんだかおかしな世の中になってるぞと、私は私の認知を基準に考えはじめた

世のために活動している人が 、いい加減な仕事をするわけがないのに、出てくる資料はいい加減だった
金額が揃わない会計
領収書のない会計
実行されていない活動計画
公開できない資料があると言うならまだ理解できた

あのとき暇空茜さんは東京都の職員よりWBPCの会計より真面目に働いていたと思う
給料もないのに誰よりも真剣に

もし、ひまそらあかねさんが都知事になったら、もっと働くだろう
手に入る資料を片っ端からチェックして矛盾に立ち向かうと信じる
違和感があればとことん調べると信じる

その時、一緒に働く人はオープンに彼の疑問に向き合ってくれたら良いと願う
一緒に正そうとすれば自分の仕事が楽になると信じて欲しい
私が見てきた暇空茜さんはそういう人だ

公務員の仕事はもっと改善できる部分が多い
働いている人が本当は気づいている残念な部分を暇空茜さんは見逃さない
嘘のない行政で、まともな人が多数派だと示して欲しい

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【振り返り】
人のズレというのは言葉上の誤解もあるけれど、感覚や認知のズレが結構大きいということは、都知事選を通して改めて考えることになったテーマです。

批判、非難、指摘、改善案、確認、誹謗中傷、論評、疑問、疑念、指南、警鐘、意見、検証、皮肉、考察…いくらでもありますが、これらを全て「悪口」と捉える人にとって、他者との会話はなんの意味をなすのか私には分かりません。

「確認」することを「攻撃」だと感じる人は、反撃に力を注ぎます。
“受け止め”にズレがあります。
ズレて受け止めた「攻撃」に”ミラーリング”すると、とても場違いな人に見えてしまいます。
けれども、同じ”受け止め”をした人にとっては違和感がないのです
このような感覚や認知のズレをとても怖いと思います。

だからこそ比較的ズレの少ない数字や資料を根拠に、問題を明らかにしていく暇空茜さんはすごいと私は思っています。



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