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高校卒業認定を取るに至った経緯(メンタルヘルス系 暗いです)
今日は朝7時30分に起床し、リビングを片付け、加湿器にたっぷり水を汲みました。
8時30分に愛犬と散歩に出かけ、帰宅後は息子の朝食と夫の朝食を同時に作り、その後回していた洗濯物を干します。
とても平和な午前中です。ふと、高校卒業認定を取ったときの事を思い出しました。少し、書いてみます。
高校はキラキラ新校舎
中学3年生の夏、部活が終わりいよいよ本格的に高校受験に向けてのスイッチがはいりました。私が入学した高校は偏差値65-67くらいの、一応進学校と呼べるくらいの高校でした。私が入学する前年に新設され、『新校舎』という響きに魅了され志望しました。塾の夏期講習も熱心に取り組み、毎日毎晩勉強したおかげで合格することが出来ました。
彼氏が出来る✖︎アルバイトを始める
入学してすぐに彼氏が出来ました。1学年上の先輩で、校内でナンパしてくれました。
そして彼氏とたくさん遊びに行きたいが故にアルバイトを始めました。居酒屋です。学校生活もプライベートも充実していました。
しかし、徐々に進学校ならではの大学進学に向けての圧が厚かましく感じてきました。
成績も悪くはなかったものの自分で働いてお金を稼ぐ事のほうが楽しくなり、アルバイトを掛け持ちするようになりました。ラーメン屋です。毎日欠かさずいずれかのアルバイトに行きました。土日は時間があるので更に掛け持ちを増やしていました。コンビニです。アルバイトではあるもののワーカホリック気味でした。
両親はお金に厳しい人でしたが、不自由のない暮らしを提供してくれていました。高校生のうちから働かないといけない理由があったわけではありません。遊ぶお金が欲しかったはずが遊ぶ暇なんてないほどシフトを詰め込んでいました。
今思うと、勉強から逃れたくてアルバイトに逃避していた気がします。
国公立大学にしか行かせない
私の両親も兄も国立大学に通っていました。
母がよく言っていました。
『大学は国公立でないとお金出さないから。私立も早慶ならまだしもMARCHは論外』
昔から言われていたので当時は ふーん としか思っていませんでしたが私が通っていた高校からはMARCHに行く人が多く、国立大学、早慶は少数でした。
私は高校に通い始めてから、親が理想とするレールから脱線してしまったらどうしようという先行き不安を感じていました。
そしてアルバイトを始めてのめり込むことで、脱線するにちょうどいい言い訳ができたような感じでした。
あれ、ちょっとおかしい
毎晩22時過ぎに帰宅していました。そのため高校の授業中は寝ていました。毎日バイト、土日もバイト、楽しさも忘れてロボットのように働いていました。気づけば日中は毎日学校で寝て、夕方から体が動き出す、夜は頭が冴えて眠れない。昼夜逆転のような生活になりました。
その頃だんだんと、彼氏の存在も鬱陶しくなりました。バイトが恋人かというくらい働いていました。
学校に行けなくなる
不眠が続き体は痩せ細り、誰がどう見ても不健康そのものでした。彼氏にも、最近おかしいよ○○。と言われていました。そしてある日電車で倒れました。それから電車に乗れなくなりました。病院では自律神経系、躁鬱系etc色々と診断を受け、精神科、心療内科の病院に入院することになりました。(具体的な病名は伏せておきます。)
滅びたくない
病院には同世代の若い人から高齢者まで幅広い層の人が入院していました。
私はその病院に6回入院することになるのですが、途中病院から高校に通っていました。
常に体がフラフラしていて病院と高校を往復することで精一杯でした。
結局そんな生活も続かず高校に行かなくなりました。交際していた彼氏の親御さんから私の母に別れてほしいと電話も来ました。
周囲の誰とも話したくない、目を合わせたくない。消えていなくなりたい。毎日そんな暗い気持ちでした。せっかく頑張って入学した高校に通えなかったら?大学は?就職は?結婚は?と真っ暗闇にいる感覚でした。
投薬治療が主でしたので呂律が回らずボーっとした頭でひたすら落ち込んでいました。
このまま病院で精神薬をたくさん飲まされて社会生活を送れない人間になるのは嫌だ!と思い病院を脱走したりしました。
高校留年が決定
担任の先生から単位が足りないため留年になる旨の連絡がありました。
色々と手を尽くしてくれたようでしたが、学校に行ける兆しもなかったので諦めましょうと言われました。
そして、高校に復学するか、退学するか迷いましたがとりあえず辞める前に大検(高校卒業認定)取っておこうか。と母と話し合い決めました。
(ちなみに、母も私の落魄れ用に深くショックを受け、窶れていました。それでもほぼ毎日病院にお見舞いに来てくれました。)
病院内の読書スペースで勉強
高卒認定の過去問を母に買ってもらい、勉強を開始しましたが、当時睡眠薬をたくさん飲んでいた副作用もあり頭に入りませんでした。
そこで、薬を飲む朝と夜の間で薬の効果が切れかかっている夕方に集中して勉強していました。
朝昼晩の食事と入浴以外の時間は過去問を解いていました。
受験
試験当日も病院から直行しました。とにかく主治医が厳しくて外泊や退院を良しとしない人でした。(最終的にその主治医に暴言を吐き散らし強制退院となりましたが、、)
試験は高校受験以上に緊張しました。
高校に通えなくなってしまった以上高校卒業認定が取れなかったら、大学へ行けないからです。
結果、無事合格出来ましたが、大学へ進学しなかったのですが。
その後高校は退学しました。今思えば復学したらら良かったのですが、17歳のメンタル的に1学年下の後輩と同じクラスになることに耐えられる自信がなかったんだと思います。
高校卒業認定を取っても中卒に変わりない
大学へは行きませんでした。というか行けませんでした。病院を強制退院になったので一時帰宅しましたが、家族との関係も良くないし、社会生活も送れない、いくつかの精神疾患を併発していたので違う県にある医療施設に入院しました。
その病院で半年間治療をし退院した後に自助グループに通い続け、のちに社会復帰しました。
そしてそのまま成人し今に至るので最終学歴は中卒のままです。一応、高卒と同等の扱いを受けられるケースもあるようですが。(大学受験や留学の際)
現実的に就職・転職となると学歴はまだまだ重要です。高校卒業認定取得後、大学どこでもいいから行っておきなよ!と当時の私に言いたいです。働いてみたいと思った会社があっても大卒以上ってまだまだ結構あるし、なんなら高卒以上と書かれている求人ですら応募対象なのかわからず尻込みしてしまいます。もっぱら学歴不問専科です(⌒-⌒; )
結果オーライ
それでも、そんな私でも今は一応会社勤めが出来ているし、結婚することが出来たし、子どもを授かることが出来ました。今とても平和な生活を送っています。そして、手に入れられなかったものや失った時間もありましたが、今、等身大の幸せに満足出来ているのでそれで良いかなと思っています。当時消化し切れなかったエネルギーはいつ発揮しても間に合うと思っているのでこれからの人生で活かせていけたらと思います。
読んでいただきありがとうございました。