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どこまでが自由意思なのか調べてみた?

どこまでが自由意思なのか自分使って考察

以前の話で「自由意志はなかった虚しさ」を書かせていただきましたが、実際体験してみてどこまでか自由意思可能か考察してみました。

できることと努力は別

まずやりたいことはなんでもできますし、ある程度放置してくれます。

しかし役目でできる人は黙々と行えるし事前計画も目標達成も順調で阻止妨害も殆ど起こりません。

稀に学び方や努力の仕方間違ってるのを正すために阻止や妨害みたいなことが起こりますが、必ず「あの出来事無ければダメになってた、全て含めてありがとう」と感謝の言葉出るパターンです。

自分の人生ではない生き方を選ぶと

自分の役目役割でない人生選んでしまうと、どれだけ努力しても報われないし、むしろ無理難題のしわ寄せみたいなことばかり起こります。

たぶんその場から排除目的だと思います。

その挙句見知らぬ人からも「あなた勘違いしてない?」とか「ここに居ても仕方ないんじゃない?」「あなた選ばれたつもり?」など心無い罵声を浴びせられます。

これはかなり腹が立つけど、たぶん周囲の人を使って「あなたは今間違った選択の場所に来てますよ」と教えてきてるやられ方のようです。

キッカケや次なる人生探しても

人は常に悩んで次なるキッカケや目標を探し回ります。

だけど足掻けば足掻くほど自然に修正されてゆくところまでおかしくするので、より一層上手くいかない負の連鎖が多発して、今よりもっと悪い状況に陥ります。

だから瞑想とか頭を空っぽにした方がいいと言われていて、別に宗教的とかスピリチュアルやるべきということではなくて、本来の流れに戻すためにこちらから行動も思考もストップして本来のタイミングを合わせる状況つくる必要があるんです。


昔日本人は定期的に忌謹慎ということをしていました。

それは人に会わずに一定期間や夜など1人になって瞑想や日々を反省ながら頭の中をリセットするというやり方です。

人は考えすぎると踏み込みすぎて、あらかじめ人生やこれから起こる出来事に準備されていたことまで途中段階なのに気がついた顔して荒らしてしまうから、結局上手くいくことも自らダメにする"人生の蛇足状態"を引き起こしてしまうんです。

周りと比較しては焦るけれど

自ばかりが常に遅れていて、周りばかりがうまく行ってる気がしてとても焦りますが、そこで焦って足掻いた分だけ逆に遠回りする負の連鎖やってることにも何となく気がつくと思います。

わかっているけどやってしまう…

どこが何が正解なのか?

どうやったら正しい人生で正解なのかもう何もわかりませんし、それはまるで延々と救援来ないまま山で遭難し続け焦って無理に下山しようとしてまた迷って、そのへんのものを拾って食べて何とか生きてるような有様。

結局私の人生は、終わったドラマの続編継ぎ接ぎで勝手に続けてるような、先のない違和感しか感じませんでした。

まさにコレなんです。

これが完全にレールから外れて勝手に人生やってしまってる証なんです。

だからここにどれだけ努力しても答えは見つかりませんし、次の一手も出てきません。

あるのは漠然と続く空虚感と満たされない時間と老いていく焦りだけ。

元の人生路線に戻るためには

私も含めてここがどこでどやったら「これこれ、そうそうやっと帰ってきた私の人生」になれるか探し続けてるところなんです。

実は既にいろんな人がヒントをくれてました。

それは「青い鳥は目の前にいた」ということ。

焦って見失って錯乱してる間、自分自身放置して見なくなって外にばかり答え求めてたから、焦りすぎて自分自身を置き去りにしてたんです。

だから今からすることはただ一つ、自分に戻ることなんです。

かっこよく「自分をちゃんと見て!ありのままを受け入れて!」みたいな霊能者先生教本みたいに上から言われてやるとかではなく、ただもう諦めた顔でいいので、受け入れるんです。

情けなくてダメすぎて弱くて脆い今のヘトヘトの自分をただ受け入れて休むんです。

かなり時間がかかるかかる人もいるし、一月自分休めしてるだけで元気が湧いてくる人もいますが、とにかくもう焦って無駄なことしないで休むんです。

何もしてないのに意味あるのか

ただだらけて休んでダメ人間になった気がするかもしれませんが、実はそれだけではないのです。

人生焦って足掻いて無駄に複雑になった人生には、元の位置に戻るための修正期間とタイミングが必要なんです。

そのまま絡まった糸のような状態で即再スタートしても、絡まったままだからより一層絡まりを増やしてしまってうまくいくこともダメにしてしまうので、あえて休んであげて、私のスケジュールに合うように調整してもらう必要があるんです。

私たちはリアル俳優だから

私たちは今のこの世界のリアル俳優だから、当然主役の人もいれば脇役の人もいます。

与えられた配役無視して何かやったら叩かれて当然干されます。

立場を見極めるとは、今回は脇役だからと不貞腐れて諦めることではなく、自分の役目役割を無視しないことなんです。

誰だって選ばれしヒーローではないけれど、医者や弁護士とか大手のエリート社員にカリスマ女性実業家など、カッコよくてキラキラした人生配役やりたいと思います。

そしてなぜかその人と年代含めて比較されるように結構身の回りに居たりして、自分が周りからも比較されては惨めさを感じる瞬間多いと思います。

でも逆にその主役的な方々はその役目役割が肩書の分だけ多いはずです。

一方私のような凡人人生だと何もキラキラした身分や立場もありませんが、なんと土日ゆっくりできて、金曜日の夜にスイーツ買い込んで休日たっぷり寝溜めしてから地域散策や調べたいことなどネットで時間かけて存分にできてしまいます。

さあ、どっちか充実してるのでしょう…

そう、与えられてるのは配役であって、そこでどう自分を楽しませてやれるかなんです。

世間体は他の人の価値で、私は私を充実させてあげないと、いくら高い地位手にしても、夜寝る暇もなく気が休まらない人生なら結局過酷な我慢だけの人生の人と同じだからです。

究極どうしたらいい?

私は20歳の頃から頭に浮かぶ言葉がありました。

それは「受け入れると変わる未来」です。

これは一見すると誤解してしまいがちな言葉で、私もつい最近まで誤解してました。

"受け入れると変わる未来"の本当の意味は、スピリチュアル的な「天から降ってくる天命を受け入れると使命や役目が与えられる未来」とか「自分を精進しながらタイミングを待ち、日々を受け入れることでやがて書き換えられた新たな未来へ進める」というカッコいい話ではなく「どうにもならなくなった今のあなたの状況を素直に受け入れた時にもしその人生が違っていたら、本来の正しい未来に繋がる人生に戻します」という意味でした。

だから「変わる未来」だけではなく「受け入れた時に…」が付属されていたのでした。

結論として

私たちはそれぞれ決められた役目役割を変えることも誤魔化すこともできない。

ただ素直に受け入れて配役を演じながら、その立場の中で如何に楽しみながら、その役割から何を学ぶかであって、無闇に規格外な配役をやろうとしたり、無謀な挑戦はしないことなんです。

結局他の人の人生の役目を邪魔しているだけの、自分も邪魔扱いされた挙句に居場所失う未来しかないからです。

よく有名俳優さんがデビューのきっかけなどで「よくあんな無茶なことして、でも奇跡的にあの無茶で売れたよな〜」みたいな話をしみじみ語ってる番組とか見たことありますが、実はそれこそが「ここでこのタイミングでやらせないとデビュー出来ないからやらせられた」という役目を演じてたので、当人も予想してない無茶ができたのでした。

これが本人も選べない決められた現象なのでした。

このタイミングが無茶に見えても決められた人生のレール続けるためにも、自由意思ではなく全ての流れと同調する整えを自分を定期的に心身休めて導かなくてはならないと感じました。

休むというよりニュートラルにしておく感じかもしれません。

言葉で表現、難しい…

※やっぱり自由意思とか自分の決断とか無意味だったか…

てっきり努力して資格や立場手にしたら、何でも可能性と共にやっていけると勘違いしてた…

決まっているのはある程度の寿命とか、性別や生まれてきたときの立場や進んだ人生からわかる予測レベルだと信じきってました…

何をやっても台本あるみたいに上手く進んで予測もでき、いくつも偶然重なった奇跡の経験の後、逆にどれだけ努力し準備重ねても予想外の阻止妨害多発で、人も環境もタイミングも含めてそれらが積み重なり、まるで呪われてるかのように報われなかったことを交互に体験しました。

それはまるで「あなたに自由意思はありませんよ!勝手な行動控えて下さい‼︎」と学ばされた気分でした。

勿論私の思考なので、みなさまは皆様の信じた未来を手にして参考程度に見てください。

大変お粗末さまでした💦

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