214.除夜の鐘はずるい【企画参加】
私とバジさんは、育ってきた環境がことごとく異なる。
例えば、私は引っ越しの多い家に育った。転勤族ほどではないけれど、2ケタには達している。そうなると、”地元”はどこなのかよくわからないし、地域の行事に参加したことも少ない。
対してバジさんは、大学入学で親元を離れるまでずっと同じ家に住んでいた。親族も実家の近くにいて、帰省時には必ず顔を出している。
他にも、私の母はバツイチで今の父親と結婚していたり、両親とも片親を早くに亡くしているため、あまり家族の形にこだわる感覚がない。
対して、バジさんのお母さんのご両親は健在で、お父さんのご両親は同居してきて最後まで看取っている。言葉を選ばず言えば、ザ・昭和の家族である。
そんな私たちが自分たちの将来を話し合うと、なかなかに面白い。自分が育ってきてこれはよかったと思っていること、相手の話を聞いてとても羨ましいと思うこと、それぞれの間で揺れ動くのだ。
共存させるのが一番いいのは分かっているのだが、こればかりはどちらも達成させるのは難しいものばかりだ。
大体が、ザ昭和の古き良き v.s. 形にとらわれない柔軟さという感じだ。
今でこそ間で揺れ動く位置にいるが、結婚当初は完全に自分の育ってきた環境推しだった。私にとってはそれが全てだったし、私たちなりの家族にするのだから、新しい考えしかないと思っていた。
けれどある出来事から、その考えが大きく変わった。
結婚してから、年末年始はいつも義実家で過ごさせてもらっている。大学生の頃から頻繁に帰省していたマメなバジさんは、結婚後も全く変わらなかった。
結婚後、初めて義実家でお正月を迎えることになったわけだが、正直、緊張していた。年越し・お正月ほど家庭の文化が色濃く反映される行事はないからだ。
そんな不安を全く意識させてもらえないくらい明るく暖かく迎えてもらい、いつも通りの年末の中に私を受け入れてくれた。
お義父さんが見ていたボクシングを見終え、バジさんと満腹になったおなかをこすりながらゆっくりしていると、お義母さんから「今日お寺に除夜の鐘を撞きに行くけど、一緒に行く?」と衝撃の一言があった。
「寒いし、無理せずでいいけども」とお義母さんが言葉を続けたけれど、その言葉を食い気味に「行きたいです!」と答えていた。
バジさんは隣で寒いからどうのとか、知り合いが多いからどうのとか言っていたが、私の目の輝きを見てすぐに諦めたらしい。
除夜の鐘を撞く体験なんてそうそうできることじゃない。というか、近くのお寺で除夜の鐘を鳴らすものなんだと初めて知ったし、素人が撞いていいということも初めて知った。
そして肺が凍るような寒さの中、息を切らしながら高台にあるお寺に向かった。最後にとんでもない角度の石段をお義母さんと文句を言いながら登り、星空が広がる空と街の灯りの間に辿り着いた。
先を行っていたお義父さんは、既にたくさんの人に囲まれて挨拶をしている。バジさんとお義母さんの後ろについて、次々に話しかけてくる人たちに圧倒されながら控えめに挨拶をする。
「いや~、あのお調子者息子が結婚とはね~!」とバジさんの昔話がたくさん飛び交って、あぁ、ここの子どもだったんだ、と改めて認識させられる。
そして私は、この光景を心の底から羨んでいる自分を初めて知った。
自分がこの輪の中にいたかった。こういう繋がりの中で育ちたかった。
私が何者なのかと思春期によくある問いに、どんと構えて動かない答えがそこにある。そんな”地元”があれば、そうか、それは帰ってきたくなるものか。
もし子どもが産まれたら、こんな暖かい地元に育ってほしい。
生れてはじめて突いた除夜の鐘は、私に大きな願いを響かせた。