12/17神戸市 部活動終了について 【都内私立中高一貫校教員の意見】
「神戸市内全ての公立中学校で、2026年8月までに学校単位での部活動をすべて終了する」
このニュースが目に入ってきた時に小躍りした。実際にはしていないけど、朝の眠気が吹っ飛んだ。
大賛成。よくやった神戸市。最初の行動を起こすのは勇気がいる。素晴らしい。すんばらしい。
教員志願者が減りまくっている。この事実を全身で受け止めてから考えましょう。
真っ先に取り組むべきは教員の異常な仕事量を減らすこと。そのためには大きな部分を占める部活動をきっぱりと切り離す。それが肝要。それが大前提で一番大事。優先すべきは教員の負担軽減。これ以外ない。部活はマジで仕事量が半端ない。
部活動が日本のスポーツや芸術の根幹を支えているとか、地域に移行できるかとか、文化部はどうなるとか、歴史や伝統とかそういった懸念や課題と教員の仕事量を減らすことの間にしっかりと線を引いて考えることが大事。それとこれは別物。
まず、切り離す。(ことを決定する)
切り離すことを決定してから懸念や問題に対して準備すれば良い。行動する前にウダウダ悩んで何も進まない状況こそ最悪の停滞の象徴。まず実行。まず切り離す。
これまで遅々として進まない地域移行の原因は、一律切り離しを何より先に決定しないから。期限を定めて一律切り離しの決定をしてから準備すればよい。切り離す決定をしないと何も進まない。
部活動がない国々でもスポーツや芸術は繁栄している。この事実を全身で受け止めてから考えましょう。
私自身、部活動にお世話になったし、お世話もした。だから部活動に感謝したし、部活動で感謝された。指導者としては、スポーツも音楽もどちらもプレイヤーとしてやってきたので比較的幅広い部活動を指導してきた。
所属した部活動
中学:野球、サッカー
高校:軽音楽、バドミントン
大学:ジャズ研究会(サークルはハンドボール、軽音楽、サッカーなど。ハンドボールは学内ではサークルの位置付けだったけど、関東学生リーグに所属して部活動のチームを相手に戦っていた)
顧問をした部活動
公立中学:バドミントン、サッカー、軽音楽、吹奏楽
私立中高:サッカー、軟式野球、囲碁将棋
それぞれ思いや記憶や達成感やドラマがあるけど、それらについては別の機会に。
これらの経験から一言で言うと
「部活動を学校から完全に切り離す」
いや、痛いほどわかる。部活動の素晴らしさ。部活は多くのことを学べる。
練習や試合での成功体験、成長実感、山ほど経験した上手くいかない事、負けること、悔しい思い、ボロボロに負けたみじめな思い、経験したことのない緊張感、努力が報われた達成感、見たり聴いたり考えたり情報を集める対象だったスポーツや音楽がやることに変わったこと、仲間を大切に思ったこと、仲間を頼りないと思ったこと、先輩や後輩との関係、死ぬほど怖い先輩、理不尽、暴力、一生の仲間、一生の思い出、仲間たちと一緒に過ごす最高の時間、監督や指導者との関係性、高校の部室で爆音で演奏する気持ち良さ、高校の部活紹介でパンクを演奏する爽快感、狂喜、狂乱、音楽の素晴らしさ、バンドの素晴らしさなど。
逆に部活動や顧問のせいでスポーツや芸術が嫌いになる人がいる。これもとても重要。
指導者として部活に関わった私は、こちら側からも多くの学びを得た。
教えることの難しさ、音楽の素晴らしさ、バンド演奏の爽快感、バンドに対する偏見、部活を好きにさせた経験、部活を嫌いにさせた経験、人間が成長すること、保護者との関係性、保護者の思い、生徒の思い、部活への向き合い方、顧問の考え方、音楽観、スポーツ観、運営、苦労、苦悩、管理職の在り方、管理職との戦い、高野連、他校の先生たちとの素晴らしい交流、他校の先生たちの思い、スポーツ用品業者、外部施設、遠征、知らない街、体験したことのない猛暑、多忙アンド多忙など。
パッと書いてみてわかったのは、部活動で経験したことは部活動ではない場面においても同等かそれ以上に経験していたってこと。
小学校の野球チームは教員は一切関係せず民間の指導者が運営していたし、高校の時のバンド活動は学校外の活動がメインだった。つまり学校の部活動でなくてもこれらの経験ができる(重要)。
部活動が定着し過ぎて、中高生のスポーツや芸術活動を「学校の管轄で、教員が指導と管理をする」ことが自然だと考える人が多い。
部活動を切り離した後は、学校が関わる部分を「場所」だけにするとイメージしやすい。つまり教室、体育館やグラウンドを活動場所として利用する形。
平日放課後の小学校のグラウンド、夜の小中学校の体育館、休日の小学校の体育館やグラウンドで何かしらのスポーツや武道に取り組んだことがある人、活動している様子を見たことがある人は多いと思う。私も小学生の時は放課後は少年野球、夜の時間帯にスポーツ少年団で活動した。中高生の時もユニホックに取り組み全国大会に出場した。
施設を住民に開放するこの制度は、公立学校という公共施設の理想的な利用の方法だと思う。
ちなみに「場所としての学校」にすら頼らずに繁栄しているスポーツや芸術活動はこれまでも現在も多く存在する。サッカー、中学硬式野球、中学軟式野球、水球、硬式テニス、水泳、体操、スケートボード、スノーボード、フィギュアスケート、バレエ、ブレイキン、柔道、柔術、レスリング、剣道、空手、ボクシング、ピアノ、ヴァイオリン、書道、吹奏楽、絵画、ビッグバンドジャズなど他にもあると思うが、これらの競技や芸術活動は部活動という枠組みだけに依存しなくても、場所を所有したり借りたりして活動し、繁栄し続けている。
そして顧問としての経験は、部活動を通さなくても教員をしていれば得られる経験がほとんど。部活によって外部機関、施設とのやりとりと昭和に生きるおっさんたちのパワーハラスメントと多忙さが追加された感じ。
そう多忙さ。これに尽きる。
もちろん部活でしか味わえない顧問としての達成感も確実にある。依存性がもの凄く高いやつ。そして誉高き「教育的効果」も。
しかしながら教員にとっての本来の職務を圧迫し、人間に必要な休息を削り取る多忙さ➕支給されない残業代。
多忙さ。これに尽きる。もう一度まとめ。
教員志願者が減りまくっている。この事実を全身で受け止めてから考えましょう。
(部活動を)まず、切り離す。(ことを決定する)
ここまでババっと書いたけど、私が一番伝えたいことは「生涯スポーツ」と「地域スポーツクラブ」の重要性である。このニュースに対してあまり語られていない視点だと思う。
部活動切り離しは多くの人にとってセンセーショナルな事だと思う。その後どうなるか想像がつかなくて多くの不安を生んでいると思う。
私にとってはこの状況は大歓迎で、理想的なスポーツと芸術環境を作り上げる第一歩だと思っている。その手立てや考えは次回以降に書きたいと思う。
部活動がない国々でもスポーツや芸術は繁栄している。この事実を全身で受け止めてから考えましょう。
一旦ここまで。