理想主義者と理想論者と偽善者と
理想論者が苦手だし、その中の偽善者みたいな連中は嫌いだ。
相容れないだろうし、自分自身受け入れられないと感じている。
理想主義者は好きな方だ。「理想を求めないやつに理想の社会は作れない」と誰かが言っていたが、自分もその通りだと思う。
自分の理想を叶えるために行動を起こし、それが社会に良い影響をもたらすなら自分は彼らを応援するし、成功したら尊敬する。
別にその理想が“有名人になりたい”で、行動が“多額の寄付”でもいいと思う。
確かに善人を装ってるだけかも知れないが、それでも自分の理想を叶えて、その結果困ってる人を助けた。十分理想的だと思う。
なにも純粋な善意だけが理想じゃ無いし、そんな純粋な善意で人助けをしている人だって求めたわけでは無くても相手から感謝と言う対価を受け取っている。
もし感謝されなかったならそ余計なことをして内心嫌がられてるか、相手にとってその助けは助けと感じられない不十分な物だったのだ。
自分の行いの対価として“何か”を望んだ者が感謝以外の“何か”を手にし、何も望まなかった者が感謝だけを手にしたに過ぎない。
個人的には、「“何か”を与えたら“何か”を得る」という社会の法則に従って結果が同じなら見返りに“何か”を得ようと動いた方が正しい行いだと思う。
それともこれが間違ってると思う人は不十分な助けしかできずに感謝すら受け取れなかった者を無私の心を持つ真の善人とでも呼ぶのだろうか。
だけど理想論者は理解できない。「世界平和」みたいな主語の大きい理想を口にする人や、「菜食主義者」みたいな自分の価値観を押し付ける人がその例。
前者は理想を口にしながら自分はどうするということを考えて無さすぎる。
大きな主語を理想とし、その実現に「世界中が〜」「世界が〜」「みんなが〜」とまた大きな主語を持ち出してくる。そんな意識を全員が共有できるんだったら既に解決してるし、大きな主語を動かして理想を叶えるには相応の立場が必要であり、自分がすべき事は妄想ではなくその立場を目指すことでは無いのか。
それでも彼らはまだマシな方で、「誰かが〜」「特定の役割の人が〜」という主語を用いて解決策を考えてる奴の方が終わってる。自分の理想を他人に叶えさせようとするとか何様のつもりだよって話だし、そもそもそのやってくれる「誰か」が居ないから解決してないわけで、「誰か」と言わず自分がその役になれば良いのにそれもしないで無い物ねだりして何を得ようというのか。
後者は理解できないというかむしろ煽りたくなる。
集団になったり持て囃されたりして調子に乗ってるのかもしれないが、彼らが主張してるのはは所詮自分たちにとっての理想であり、自分たちに都合の悪いことには最初から意識が向いてないから理論が穴だらけである。
他人には他人の価値観があり、その価値観が間違って無いから普通に生活できているのであり、自分たちの価値観が絶対では無いと気づいて欲しい。
彼らの、「自分たちは周囲の間違った考えの人たちを矯正している!」みたいな態度が気に食わないし、他人の考えを押し付けられてる状況にイライラしてるから、そこに穴だらけの主張を聞かされたら逆撫でしたくなる。
偽善者は軽蔑する。
彼らは自分に関係ないことに首を突っ込んで綺麗事を言ってみたり、一般道徳を盾に他人を非難したりする。主体性もなければ言葉への責任もない。
そんなのは所詮自分を善く見せたいという自己中心的な行動か、善いことを言ってる自分は他人より善人だと優越感に浸ってるだけの自己満足だ。
なぜ自分に関係がないことに首を突っ込めるのか。どこに正当性がある。
彼らは全く関係のない他者から叩かれる気持ちを知っているのか。
自分は知ってる。関係ある相手と争ってる時の10倍以上の怒りを覚えると。
「正しい状況も知らないくせに無責任なこと言ってんじゃねぇ」って思う。
「関係ないくせになんの正義があって物言ってんだ」って思う。
被害者に同情して見せることで自分を善人だとアピールし、被害者の存在を利用して他人を合法的に叩いて楽しんでるだけではないのか。
自分が同じ立場になった時にその綺麗事を貫いて役割を全うできるなら是非とも証明して欲しい。なれないんだったら口を挟む権利はない。
なぜ一般道徳を盾に他人を責めるのか。
破って被害を受けるのは本人だ。「未成年喫煙」「信号無視」等の法律を破れば国から罰を与えられてるし、行為自体が本人に不利益をもたらすことが多い。
発覚した時点で既に罰を受けてるのだから本人以外に彼らを責める権利はない。罰を受けた人間にさらに罰を与えるという行為は自らの道徳性の低さを晒す行為に思えるが、自分が今何を口実に相手を責めてるか覚えてないのか。
彼らが自分がモラルや道徳を守る人間だと強調してるのかもしれないが、正直者を名乗る人ほど嘘つきとはよく言うもので、彼らの発言にも彼らがモラルや道徳を持っていないことが無意識に出ているのかもしれない。