見出し画像

子供の宿命

大人や学校は否定するけれど、結局子供が親の所有物であり、親の支配下にあるというのは紛れもない事実だと思う。

それがよく現れているのが「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」というフレーズ。親子喧嘩では定番のフレーズだが子供にとっては一撃必殺のキラーワードで、これが出ると子供は基本親に従うしかない。

我が家では
「誰のおかげで生活できてると思ってるんだ」と始まり、
「俺の稼ぎのおかげでお前は生きてるんだ」となり、
「そんなに俺の指示が気に食わないなら出ていけ」と結ばれる。

それでも意地を通すなら出て行くしかないが、何をするにもお金が必要なこの国で親から追い出された子供は生きていけない。
だから受け入れられなくても受け入れる。それは死を恐れる本能が故。

昔の自分もそうだった。どれだけ受け入れられないことを言われて頭に血が昇っていても、この言葉を言われた瞬間それ以上言えなくなった。
冷静になったわけじゃ無い。諦めたわけでも無い。
ただ生にしがみつく本能が抵抗を続けることによる未来を恐れたのだ。

金がないのだから家がない、家がなければ仕事に就けない。
金がないのだから電気もガスもない、体臭がひどいと面接で落ちる。
金がないのだから食料がない、飢え死にするか盗むか。
金がないのだから衣服がない、凍え死ぬか、盗むか、猥褻で捕まるか。
金がないのだから学校にも行けない、学歴がないと将来が不安。

そんなことを考えれば従う以外の選択肢を選ぶことはできなかった。
親の持つ経済力によって養われるしかない子供は非常に弱い存在で、養う側である親には逆らい切れない運命にあるのだ。


「お前が欲しくて産んだんだから育てるのは義務だ」とは思わない。
「子育てが文句を言いたいくらい負担なら産むなよ」とは思わない。
「収入を得られない子供を金で脅すのは卑怯だ」とも思わない。

確かに自分が生活できてるのは親父の収入があるからで、自分が私立に通えてるのも親父の稼ぎがあるから。これは間違いない。
働いてた時期もあるから金を稼ぐ大変さは理解してるつもりだし、だからこそ親父が対価も無しに私財を投じてくれてることに感謝してる。

だから自分は親父を不機嫌にさせないように親父の独り言どころかため息にまで反応して解決してきた。親父の言うことには基本イエスマンだし、自分の用事を断ってでも親父を優先してきた。

でも自分はもう18だ。
いい加減には自分を通したいし、空気ばかり読んで調整して回るのも疲れた。これまでのようにおとなしく従うのだっていい加減限界が来る。
意思に背いたり誘いを断ったりしたからといって空気を悪くするのはやめて欲しい。これがある限り自分は親父に背けない。
善意で色々言ってくれてることも分かった。だけど自分にも考えや都合がある。だから金銭による圧力ではなく、話し合いで解決したい。