写生について1 平福百穂①
「写生」はスケッチの訳語として定着しているが、歴史的にみれば用法は多様で、中国から江戸時代、そして日本近代にいたるまでの変遷は非常に複雑。身近な隣人のふりをしていて、一向にその輪郭さえ掴めないような難解さがある。
明治から大正、昭和にかけて画家・歌人として活躍した平福百穂は、写生するならば「梅になりきってこい(=描写対象と同化/融合してこい)」といっている。「香りや魂(=内面的/主観的)」ばかりではダメで、「白い花びら紅いウテナ※(=客観的なかたち)」もあって、はじめて「梅」であると。
※うてな=萼(がく)。花びらの外側の緑色の部分。
主観と客観の融合という写生観は、同文で百穂が告白しているようにアララギ派の人々と共有している。特にアララギ派の中心人物であった斎藤茂吉の写生観と通底している。茂吉の写生観についてはまた別に触れる予定。
20220907 美々忘々
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?