見出し画像

山うずらのワイン煮 千鳥のワイン漬

(トレドの続き)

現在位置 (2)

グレコ美術館を出る。相変わらずクネクネと曲がりくねった細道を上下左右に歩いていると、こぢんまりとしたレストランに突き当たった。ガイドブックにも載っていない、よそ見をしてたら気付かないほど目立たない。そんな店。

最近は日本人観光客も多いので、英語表記のメニューを用意している店も多い。ただ、私は臍曲がりなもので、日本語のメニューがあると、誰かに先を越された気がして妙にガックリしてしまう。

店先の壁に貼り付けられたメニュー表を一つ一つチェックする。《ペルディス・ア・ラ・トレダナ》(トレド風山うずらの煮込み)、《コチフリート・デ・コルデロ》(仔羊のコチフリート)、《カチュエラ》(豚レバーと豚血の煮込み)といったトレドの名物料理が名を連ねている。

ここはアタリかもしれない……。とほくそ笑みながら、狩猟が盛ん土地柄、時期が合えば、美味しい猪や鹿料理にも出合えるかもしれないとさらに夢を膨らませる。


***

ところで、「コチフリート」って何だろう。聞き慣れない言葉を辞書で調べてみることにした。すると、スペイン王立アカデミーの辞書に「畜産業者や羊飼いの間で広く使われている煮込み料理で、通常は小さく切った仔山羊や仔羊を半分調理した後、スパイス、酢、パプリカで味付けして揚たもの」と記されている。

cochifritoという単語の構成から考えても、スペイン語の分かる人ならピンとくるように、「煮込む(cocer)」+「揚げる(freir)」の異なる二つの調理法の組み合わせからなる料理らしい。

そこで、トレド風「コチフリート」の作り方を見てみた。羊肉をスパイスに漬け込み、ワインで煮て柔らかくしてから煮込むのが伝統的な作り方になっていて、なぜかここには、揚げるという作業が入っていない。

けれど、実際はどうかというと、定義どおり、煮て柔らかくなったものを揚げたものもあるにはあるけれど、アラゴン、ナバラ地方をはじめとする多くの場所で見られるように、ニンニクを効かせてカラリと揚げただけのものが一般的な「コチフリート」になっている。

つまり、本来の語源である「煮込む」と「揚げる」の調理法のうちのどちらかが、何らかの理由で省かれて、そのまま「その土地のコチフリート」と親しまれていることになる。

画像1

(本日のオマケ画像)

スペインにおけるイスラム教徒による支配下時代が15世紀に過ぎ去り、彼らの多くはアフリカへ移住し、そのままイベリア半島に居残った者達はキリスト教への改宗を強いられていった。

このカトリック教色の強い異国の地で改宗の後もイスラム文化やユダヤ文化を継承し生き抜いた人々をモリスコと呼ぶ。

16世紀、国王のお膝元として勢力を奮っていたアルバ公爵が、アンダルシア地方のモリスコに入植させて作った村が、セルバンテスの名作「ドン・キホーテ」の主人公の故郷だと言われている。当時、南方アンダルシア地方からかなりの数のモリスコが内陸部のラ・マンチャ地方に流れ込んだという。

モリスコたちの農業における貢献は著しく、特に彼らが有していた高度な灌漑技術は、スペインの農業を急成長させたことは否めない。現在でもスペイン各地方に点在する遺跡から、国内全体の中でもアラゴン地方が特に彼らの影響を強く受けたことが分かる。

モリスコたちの食文化遺産であるコチフリート。山羊や羊を食していたモリスコたちの食生活は時代とともに変化を余儀なくされたのだろう。食材だけでなく、調理法だって、変わらざるを得なかったのかもしれない。


***


こんなことを書いていて思う。そんなことを知ったところで、何の得にもならない。

けれど、こうやっていろんな歴史を紐解いて、人々の生活を辿っていくのは、巨大なタペストリーの経糸と横糸を一本ずつ抜いていって、最後に浮かび出てくる何かを期待するような楽しみがある。

こういうのもまた、食べることを楽しむ、一つの方法だと思っている。

ちなみに《カチュエラ》は豚レバーや豚血に、胡椒、クミン、クローブをはじめとする多量の香辛料を加えてペースト状に仕上げたもので、パテのようにパンに塗って食べる家庭料理。

数切れの熟成チーズや腸詰、オリーブの実なんかと一緒に少しずつテーブルに並べ、ぼってりと熟した赤ワインを舌鼓を打ちながら楽しむ。お世辞にも色鮮やかで美味しそうとは言い難い料理ながらも、冬の夜にはもってこいの脇役者なのだ。


【山うずらの赤ワイン煮 千鳥のワイン漬】

テーブルに着いてからもさんざん迷った末、ようやく頼んだ本日のメイン料理ががテーブルに運ばれてきた。

トレド風・山うずらの煮込み《ペルディス・ア・ラ・トレダナ》

あれだけコチフリートを熱く語っていたのに、やっぱり臍が曲がっている。


***

豪華に一羽まるごとで一人前。とはいえ、山うずらなので、お皿の上にチョンと山うずらがお座りしているようなイメージ。黒胡椒、にんにくが粒のまま入っていて、添えられた生のローズマリーとタイムの香りが食欲をそそる。歩き疲れて麻痺していた空腹感が、五感を刺激されて一気に戻ってきた。

そっと胸肉のあたりにナイフをあててみる。ペルディスの身はとても軟らかく、煮込む際に酢を加えているのか、骨から身がコロリと簡単にはずれる。酢を使ったエスカベッチェと呼ばれる調理法で仕上げられているのだが、この店のエスカベッチェは、酸味がなんてまろやかなんだろう。

けれど、いつもと違うことが一つあった。煮込みに使われたワインが、一般的な白ワインではなく赤ワインだったことだ。山うずらの淡泊な味に赤ワインなのかと驚いた。

赤ワインは脂分、または、匂いの強い肉類を煮込む際に使用すると、ワインが持つ酸やタンニンが絶妙に働き、肉を柔らかく香りよく調理できるけれど、鶏・うさぎといった身の白い淡泊な肉類の場合には、肉の色を悪くするばかりか、味わいを消してしまいかねない。

しかし、驚いたのはほんの一瞬。この店の山うずら料理は、赤ワインのフルーティーさと独特なコクが、うまい具合に味のアクセントとなっている。酢の程よい酸味が拍車をかけて、ナイフとフォークだけでなく、ワイングラスも危険なほどにアップダウンする。

ハウスワインのハーフボトルがあっという間に空になる。後悔しても、もう遅い。

…………迷った。

ワインを追加したいのに、既にハーフボトルを空けてしまっている。けれど、今さら水にするなんてことはできない。そうなると、グラスにすべきかハーフボトルか、はたまたフルボトルか……。

馬鹿げた話ではあるけれど、本人にとっては死活問題。最後の一口まで美味しく食べられるかどうかがかかっているし、第一、美味しいワインを残すなんて以ての外なのだ。

すると、グラスを拭きながら、こちらの様子をそっとうかがっていた若いウェイターがささやく。

「フルボトルの方がお得です!」

彼の名はミゲル・アンヘル。この店の後継ぎで、現在、ウェイターとしてホールでの仕事を見習い中。家業を継ぐために醸造学を新たに学び、この店のために彼が造ったワインらしい。

「年齢に関係なく、気軽に、普段着で飲んでもらいたいんですよ」

そう語る彼の顔が、急に少年の顔に戻った。

新たに抜栓されたルビー色のフルボトルの赤ワインが、トプトプという音を響かせながらグラスの中に広がっていく。グラスをゆっくりと回すと、覚えのある華やかで優しいイチゴの香りがふわり鼻先まで舞い上がる。あぁ、これこれ。この香り……。

「テンプラニージョです」

センシベルとも呼ばれるこの地ならではの黒ぶどう。スペイン全土で最も栽培量の多い品種でもある。彼が言うように、赤ワインなのに、軽くカジュアルな口当たりで、デザートまで同じワインで十分だった。


立ち上がるのもおっくうなくらいに充分食事を楽しんだ頃には、ワインはすっかり爪先にまで流れ込み、気が付くと閉店時間になっていた。

急いで支払いを済ませて外に出ると、さっきの彼も一緒に外まで見送りに出てくれた。

「アスタ・プロント!」

また会えることを願う別れの言葉。次に会う時、彼はきっと立派なレストランのオーナーになっているに違いない。

トレドの坂道をふわふわ千鳥足で下りていく日本人が一人。ワイン煮の山うずらを食べたのに、酔ったのは千鳥なのか? 

そんなことは、どうでもいい。

この場に及んで最大の問題は、次の目的地へ向かうバスに間に合うかどうかなのだ。


⇒ 次の目的地:シウダーレアル

開店 お知らせ Twitterの投稿 (3)

海外でのお楽しみの一つはレストラン選び。あなたのレストラン選びのポイントは何ですか?

「ガイドブックを熟読して決定する」
「野生の勘に頼る」

などなど、いろいろありますよね。
前回同様、コメント欄に書き込んでください。

Spaces内で読ませていただきますが、来週水曜日のSpacesで生コメも大歓迎です。

尚、ツイッターでハッシュタグ   #食べて生きる人たち  をつけての投稿でもお待ちしてます。

≪マガジンはこちら≫
※連載は毎週土曜日の朝7時配信予定です。
連載開始期間として、現在、無料配信となっています。
読み逃しのないように、マガジンフォローお願いします。




いいなと思ったら応援しよう!