ファバダの向こうに家族がいた
【リンゴ酒サービスは鮮やかに】
サンタンデールを出た車の車窓から見えていたカンタブリア海がやがて消し、舞台は美しい絵画のような緑の世界へと切り変わる。単に色や気温といった体感できるももではなく、おとぎ話の中で。トンネルを抜けたら別の国に紛れ込んでしまったかのようなの感覚に陥ってしまうアストゥリアス地方。この中心に今日の目的地オビエドの町がある。
西ゴート族の貴族の末裔とされるペラーヨ指揮するキリスト教軍が、ついにイスラム軍を撃破したレコンキスタ(国土回復運動)発祥の地コバドンガがここアストゥリア地方にある。
そして、この戦いの後、722年に建設されたのが、オビエドを首都とするアストゥリア王国である。
イスラム軍勢の手から逃れた唯一の純粋なキリスト教徒たちの地としてスペインの中でも特別な歴史を持つ場所アストゥリアには、21世紀の現在でも、神聖で透明な空気が荘厳な自然の中に息づいている。
リンゴの名産地として知られているこの地では、町の目抜き通りには至るところに《シドラ》と呼ばれるリンゴ酒を扱う専門店シドレリアが立ち並んでいる。
シドラというと、日本でいうシードルを思い浮かべるかもしれないけれど、炭酸は注入されておらず、自然発酵による微発泡性とリンゴ独特の酸味がある。かといって、アルコール度数はノンアルコールから3度~8度と幅が広く、リンゴワインとも趣の異なる面白い飲み物だ。
飲用として親しまれているだけでなく、鶏や魚を調理する時にも白ワインの代わりに使われることもあるシドラ。料理だけではない。あっさりとしたシードルは、カヴァ(発泡性ワイン)では発泡性が強すぎて苦手だという人にとっては、口当たりが程よく、根強いシドラファンがいるのも納得できる。
ここで、「なんだ、ただのリンゴ酒か」と侮らないでほしい。初めて見た人の9割はチャレンジしたくなるスペシャルパフォーマンスがある。
まず、足をしっかり肩幅に開き、踵から頭上まで、一本の竹のようにピンと真っ直ぐに背筋を伸ばすところから始まる。さらに、頭上からその直線を結ぶように高く持ち上げたシドラの瓶を、可能な限り低く構えたもう一方の手で支えた大きめのコップに向けてタイミングよく傾ける。
このタイミングが難しくて、零れないようにとゆっくり注ぐと頭上がシドラでボトボトになり、勢いをつけ過ぎるとコップの外にこぼれてしまう。瓶から細い滝のように流れ出る液体を、わざとコップの縁を目掛けて弾けるように注ぎ込むことが重要で、こうすることでシドラに微かな泡が生まれる。
そして、泡が消えてしまわないうちに、大きなコップの底2センチ程度だけ注がれたシドラを一気に飲み干す。
毎年9月に行われるシドラ祭りは、誰もがシドラを片手に飲み、歌い、そして踊るフォルクローレの祭演。祭りを盛り上げる名物料理も欠かせない。
年中、必ずどこかの土地で、何らかのお祭りがあるスペインでは、その土地の料理と飲み物と、気の置けない仲間たちとマリアージュによって生まれる時間を心からリスペクトし満喫する精神が必須条件なのである。
余談だけれど、このシドラのパフォーマンス。慣れないとかなり難しい。親友ビセンテへのお土産に、地元で人気のシドラと専用コップを持ち帰ったことがある。彼の努力は認めるが、結局、大人4人が味見するにも満たず、唯一、フローリングの床に巨大なシミを作った。
何でもかんでも真似をしないで、地元のものは地元で楽しむということを知った瞬間だった。
【運ちゃんたちが戻る場所】
オビエドに到着して早々にシドラで喉を潤したお次は、“トラックの運ちゃん食堂”に潜入することにした。
なぜかというと、長距離トラックの運転手というのは、最終目的地まで長時間に渡って運転を続けなければならない。そのため、短い時間に心身共に可能な限りの休憩をとる必要がある。
ルートが決まっている運転手になると、衛生面も安全で、味も良く、価格も手ごろな「いつもの店」で食事をするのは珍しいことではない。お決まりの料理を当てにして来ることあれば、その日のおすすめ料理を楽しみにやって来る客もある。
店の前の空き地には、既に数台のトラックが止まっている。客専用の駐車場として色褪せた緑色のテントが広げられたその店は、バールと呼ぶには家庭的でレストランと呼ぶには庶民的すぎる、懐かしい昭和時代の喫茶店を拡大したような雰囲気があった。
さらに、この店の入り口は、珍しいことにエレベーターで上がった2階にあった。4人も乗ればいっぱいの小さなエレベーターの扉が締まろうとした時だった。すらりと背の高いキリッとした若い女性が乗り込んできた。バイクでやって来たのだろうか。黒い皮のジャケットにヘルメットを抱えてた彼女が、こちらを見ながら爽やかに口角を上げた。私も「オラ!」と返事した。
「ケ・アプロベチェ」
そう言ってエレベーターを離れる彼女の後ろを追って店の中に入ると、運ちゃんたちの鋭い注目の矢が立てて突き刺さる。化粧気のない東洋人女性が一人で彼らの食堂に入って来るなんて、滅多にないのかもしれない。
しかし、そんなことはどうでもよい。こちらの注目の的は、アストゥリアス地方が誇る名物料理《ファバダ》なのだから。
アストゥリアス地方で特別に指定を受けた土地のみで生産されるファべスという白いんげん豆がある。この豆を、同じくこの地方の特産物である腸詰類と共に煮込んだ料理がファバダなのだ。
ゴトリという重圧感のある音とともに、ファバダがテーブルに運ばれてきた。一体、どうやってテーブルまで運んできたんだろうと思うほどカスエラの端スレスレにまでなみなみと注がれたファバダ。
「熱いから気を付けて」とサービスしてくれたのは、エレベーターで乗り合わせた彼女。仕事着に着替えてゆるく結んだ髪の毛が、彼女の凛々しさに可愛らしさを加えていた。
豆を一粒引き上げてみる。大きい。直径2センチはある。火傷しないようにフゥフゥしてから、歯の先にひっかけながらそっと口の中に運んでみて驚いた。あの、豆特有のネットリ感がない。なんだ、このクリーミーさときたら。舌で転がすと薄い皮がすっと開いていく。強火で煮ると豆の皮が爆ぜてしまう。何時間もコトコトと煮込まれていたに違いない。
続けてスプーンを何度か動かす。トロリと温かい物が喉元を通ったかと思うと一気に胃の底までドーンと滑り込む。体の芯が熱くなってくる。
ぶつ切りのチョリソや豚の脂身からどうやったらこんなにソウルフルな味が生まれるのだろう。スプーンを口に運ぶ度に、自分の中の何かが溶け出していく。
ゆっくりと料理を味わう傍ら、店の様子を見渡してみる。キッチンの中で、数人の男たちが動きまわる奥に、テキパキと厨房を采配する年配の小柄な女性がいるのが見える。
時おり優しく上がる口角は、今しがた見た女性の口角と同じ。無口ながらも穏やかな表情で働く男性たちの存在も相重なって、店の中に不思議なメロディーが流れているように心地がいい。
キッチンのすぐ前のテーブルにいる常連客らしき客に「もう少し、食べるだろ?」と声をかける彼女。「一口でいいからね」そう答えながら、ヨレヨレになったカードケースに大切に挟んであった自分の息子の写真を見せている客。
そこには別の形の家族があった。
人間なのだから、毎回100%同じ味の料理なんて作れっこない。上出来の日もあれば、作っている側が悲しくなるほど情けない出来の日だってある。それにもかかわらず、必ずこの店にやってくる客がいる。
何か月も、もしかしたら、何年もして戻ってくる客もいるのかもしれない。それでも、必ずまた戻ってくる。
忘れた頃にやって来ても、いつものように開いている扉。余計な干渉もなく、自分の好みも知っていてくれる安心感。客の方も、少しくらい味が違っても、「今日は何かあったのかもしれない」「いつも美味しいのだけど」と思う程度で、それが理由でもう店に来ないということはない。
客たちにとって、この店は自分の家でもある。お互いに認め合い、赦し合いながら、次はいつ会えるのか分からない「今」を共有する。そして、食べ終わると、挨拶代わりにスッと手をあげて残して店を出て行く。言葉はない。柔らかい気持ちだけが残る。
自分たちの土地を守り抜いた人達が済む場所アストゥリア地方。彼らは変わらず、土地を守ると同時に家族を守ってきたのだと気づく。
そんな様子を見ていると、注文していないのにデザートが出てきた。角が落ちた形の崩れたプリン。カラメルソースをたっぷり絡めて口に運ぶと、甘ずぎない、程よい香ばしさに絡まった安らぎが、静かに体の中に浸透していった。
《オビエドその2に続く》
今回登場したシドラのパフォーマンス。口に入る量こそ少なくなりますが、仲間がいると非常に盛り上がるものです。
こういうパフォーマスがあると、会話が弾むので、あっという間に時間が過ぎていきますね。
そこで次回のお題はこちらです。
『楽しい料理パフォーマンスを教えてください』
まさかの食べ方だったり、
作っている途中のパフォーマンスだったり。
あなたの思い出に残っている「料理パフォーマンス」について教えてください。
お題の回答はいつものようにコメント欄、もしくはTwitterで、 #食べて生きる人たち のハッシュタグをつけて投稿してくださいね。
お待ちしております。
≪マガジンはこちら≫
※連載は毎週土曜日の朝7時配信予定です。(時々、遅れます)
連載開始期間として、現在、無料配信となっています。
読み逃しのないように、マガジンフォローお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?