珍味って本当に美味しいのかという謎
【鰻の稚魚のアヒージョに教わったこと】
海沿いのサン・セバスティアンから西へ約100キロ移動する。今までの穏やかな藍色の海の雰囲気は一転し、バスク地方のビスカヤ県都ビルバオが姿を現す。
重工業都市でもあるビルバオの湾内には大きな船がいくつも停泊し、街中には、壁の所々に残された鉄砲弾の跡や、バスク語でなぐり書かれた落書き、険しい顔の守衛兵が重圧感を増す。全体的に茶色いトーンで纏まった角のある建物が緊張感をさらに高め、それを程よく緩和するように、近代的で遊び心のある建築物が点在している。
一見すると“バスク料理=魚料理”だと思いがちだが、バスク料理を支える背景には、カンタブリア海の魚介類だけでなく、ピレネー山脈をはじめとする山岳地帯で育まれた自然の恵みも挙げられる。
草地の多い山脈地帯では牛の放牧が行われ、牛肉が重要な畜産物となっているのは案外、知られていない。
特に、骨付きステーキは《チュレトン・デ・ブエイ》と呼ばれ、質量共食べ応えが半端ない。上質の肉を粗塩だけで炭火で豪快に焼き上げたステーキは、今まで食べていた肉は何だったんだというくらい、本気で「食べる肉」を教えてくれる。
偶然見つけた「歩いて行けるご近所レストラン風」の店でランチ定食を頼んだら、厚み5センチ級の巨大ステーキが出てきた。この時には、さすがに午後の予定を全部キャンセルした。
結局、翌日のお昼までお腹は空かず、自分が食べた肉が、血となり肉となる過程を実体験をすることになった。
肉が美味しいということは乳も美味しいのだから、当然、チーズだって美味しい。数あるバスク産チーズの中でも、歯ざわりはしっかりと固め、少し黄色味かかっている羊乳から造られるスモークタイプの《イディアサバルチーズ》は、チーズ愛好家たちのお気に入りとなっている。
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バスク料理の特徴のもう一つに唐辛子(鷹の爪)がある。大航海時代に中南米からスペインに持ち込まれた唐辛子。
面白いのが、ほぼ同時期に伝来したチョコレートは、イベリア半島を北上し、ヨーロッパ全土に広まったのに対し、唐辛子はスペイン国内ではリオハ地方など一部の地域を除くと、かたつむりなど特定の食材に対して使われる以外は、ほとんど使われていないということだ。
スペイン料理の中で辛味を添える調味料については、唐辛子よりも古代ローマ期から既に食材として取り入られていた胡椒が使われることが圧倒的に多い。チリペッパーを使うことはあっても唐辛子を丸ごと使った料理は案外少ない。
逆に、日本に伝わった「南蛮漬け」の中には唐辛子が丸ごと使われていることが多いのだけれど、唐辛子がどういったルートを辿ったのかも考え出すと何処までも行ってしまう。
唐辛子の辛さを利かせたバスクの料理に、例えば、ジャガイモとまぐろを煮込んだ《マルミタコ》という料理がある。バスク地方には前章でも紹介した男性ばかりの美食家倶楽部が存在するが、この《マルミタコ》という料理も彼らの定番料理の一つ。年に一度、その腕前を競うコンテストが開催されるのだから気合の入れようは相当のものだろう。船の上で海水を使って煮込んだのが始まりだという《マルミタコ》。バスクの猟師達の間で生まれた、まさに海の男達の料理である。
さらに、唐辛子を使った料理の例をさらに挙げてみよう。
唐辛子入りのガーリックオイルで加熱調理した真っ白な鰻の稚魚《アングラス・ア・ラ・バスカ》は、今や、アングラスのアヒージョと言ったほうが分かりやすい。
大西洋のど真ん中、バーミューダ南方で誕生した鰻の稚魚は、海中プランクトンを食べながら、およそ3年をかけて、ビルバオの河口付近に漂着する。この透明なクリスタルのように輝く数センチの稚魚たちが、《アングラス・ア・ラ・バスカ》の主役となる。
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マリスコス(魚貝類)のタパスを専門にしている店が立ち並ぶバール通り。観光客で賑わう店を避け、あえて地元の人たちの出入りが一番多そうなレストランを選りすぐって潜入すると、直ぐにカマレロがメニューを持ってやって来た。
こちらは観光客をわざと外して店を選んでも、店側からするとやっぱり観光客でしかない。仕方ないとはいえ、もしかしたら、これは穴場探しのいい方法かもしれないなんて思ったのが、ちょとだけ悔しい。
時期によって獲れるものが変わる魚貝類の値段は時価。値段の書かれていないメニューが並んでいることも少なくない。
値段の部分だけが手書きで書き添えらている。レストランの一品料理としてはかなり高い。これが、ミシュラン星付きレストランとなると、「もしもの時は、皿洗いします」どころでは済まない。
(「いつか、そのうち…」の「いつか」も「そのうち」もほとんどの場合やって来ない。生のアングラスを食べられる機会。幸運の女神には前髪しかない……)
カマレロが「少ないのでは」と忠告はしてくれたのだが、結局、メディア・ラシオンだけ注文することにした。
メディア・ラシオンというのは、スペイン語で「1/2人前」という表現で、一般に、日本人レベルでは考えられない量が一人前として出てくるこの国では、覚えておくと非常に役に立つ。
間もなくして、ジュワーン!!と銅鑼のごとく効果音を立てながら、煮えたぎったガーリックオイルの中で泳ぐアングラスが登場した。放たれる湯気が後光のようにも見える。
確かに、値段に対して量が少な過ぎる。カスエラと呼ばれる浅い土製の皿の底が見えているじゃないか。
恐る恐る、フォークの先に数尾だけひっかけて持ち上げてみた。すると、僅かに引っかかっていただけの真っ白な稚魚はフォークからスルリと抜け落ち、再び器の中に落っこちた拍子にガーリックオイルが飛び散り、シャツの胸元の一番目立つ場所にシミを着けてしまった。
今度は、フォークの先をパンの欠片で支えながら口に運ぶ。無事、口の中にガーリックオイルをまとった稚魚を放つ。
ここまでは良かった。フォークで掬った稚魚が少なすぎた。ふわりとした稚魚の身は噛むに至らない。しっかりと味を覚えておこうとしたけれ、味わう間もなく、稚魚たちは喉元へ逃げて行ってしまった。唐辛子の辛さとガーリックの味だけがその名残を口の中に留めている。
次こそは! と、さっきより多めの稚魚をフォークの先に乗っけ、何尾いるのか数える前に口の中へ……。
柔らかな稚魚が口の中で泳ぐ。独特の軟白な味わいと細やかな弾力のある白い糸が舌に絡まる。世界中で珍味と呼ばれるものの多くがそうであるように、比較できない味というのは表現し難い。ああでもない、こうでもないと思索しながらも、結局、適当な味が見つからないまま、器の中の稚魚は、あっという間に一尾残らず胃の中へ姿を消してしまった。
(何だったたんだろう……)
美味しくなかったと言えば嘘になる。美味しかった。きっと、美味しいのだろう。いや、あれだけ高価なのだから、美味しくないと困る。
けれど、白状すると、手放しで絶賛できるほど美味しいとは思えなかったのだ。
この料理について、個人の意見をここで書くべきではないのかもしれない。
なぜなら、これを読んだ人に「高価だけど美味しいものではない」というイメージを植え付けてしまう可能性があるからだ。
けれど、美味しいかどうかを決める基準というのは、個人にあると思っているので許して欲しい。
世界の三大珍味「フォアグラ」「キャビア」「トリュフ」を思い浮かべるだけで唾液が溢れ出てくる人もいるかもしれない。「○○」だけは美味しいけれど、他の珍味はあまり好きじゃない。逆に、全部、好きじゃないという人だっている。
それでいいと思う。
「美味しいもの」「豪勢なもの」を食べる人たちを美食家と呼ぶのだそうだ。
アングラスのアヒージョを食べて、その美味しさを絶賛する人がいても、そうでない人がいても、「美味しい」と思えないことを非に思う必要は全くない。
そして、本人が本気で思った「美味しい」の度合いが、それだけの値段に値するものなら、決して高価ではない。
珍味と呼ばれるものを食べてみたり、「美味しい」と評判の流行の店を探すことは、あれこれと想像力を掻き立てられるワクワク感がたまらない。ひょっとしたら、強烈に不思議な食べ物に出会えるかもしれないのだから。
誰かが賞賛した料理を、実際にそうなのかどうか検証するのも、食べることを楽しむという意味では刺激的で探究心を擽られる。そういう好奇心はずっと持ち続けていたい。
ただ、私自身は、願わくば、食べている料理そのものだけではなく、その料理を纏っている自然や食材、その料理が生まれた土地や人、その空間までも自分で評価しながら「美味しい」を決められる人間でありたいと心から思う。
食の宝庫バスク。自分だけの「美味しい」を見つける旅を楽しんでもらえたら嬉しい。
《次の目的地 ⇒ サンタンデール》
今回でバスク地方の旅は終了。ご期待に添えましたでしょうか?
珍味と呼ばれるものは数あります。
でも、珍味が必ずしも誰にとっても美味しいとは限りません。
そこで今回のお題はコレです。
『コレこそは!と思う珍味を教えてください』
アレだけは食べられなかった!
意外に美味しかった!
あんな不思議なものはない!
など、いろんなお話を聞かせてくださいね。
お題の回答はいつものようにコメント欄、もしくはTwitterで、 #食べて生きる人たち のハッシュタグをつけて投稿してください。
お待ちしております!!
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連載開始期間として、現在、無料配信となっています。バスク地方を通過し、いよいよサンティアゴ巡礼の最終地へと向かっていきます。
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