【哀愁のマッシュルームとアコーディオン】
スペインに来て驚いたのがバールの数。電柱の数より多かった。どんな小さな村に行っても、スーパーマーケットや薬局はないのにバールと教会は必ずあった。
田舎の村だと、パンや新聞の代行販売や、自分の家で採れた農作物を脇で売っている店、宝くじを売る店まである。道を聞くにも交番ではなくバールのおじさんに聞けば、抜け道マップまで教えてくれる。さらに、顔見知りになると、宅配便の受取りまでしてくれる便利さ。
人生を楽しむために生きる人たちにとって、大切な社交の場でもあるバールは、生活の一部であり、スペインの食文化を支える柱の一つでもある。日本の「バー」と同じくBARと綴ってはいても、スペインの「バール」は、老若男女の憩いの場のような「お酒も飲めるカフェ」的な存在なのだ。
バールのタイムテーブル
①目覚めの朝一コーヒー【デサジュノ】(クロワッサンやクッキーと)
②朝食【アルムエルソ】(朝10時頃からボカディージョなど)
③昼食【コミーダ】(午後2時頃からゆっくりと)
④間食【メリエンダ】(夕方ひと仕事を終えた後の軽い軽食)
⑤夕食酒【アペリティボ】(軽くビールやベルモットなど)
⑥夕食【セナ】(午後10時頃から)
⑦食後の一杯
つまり、見れば一日中、バールに行く理由がある。
乳母車を引いた買い物途中の女性から、ビールを片手にサッカー中継を食いつくように見ている男性。いつもの仲間と片隅のテーブルを陣取って何時間もゲームに没頭する老人グループと、様々な人たちが様々な目的でバールを訪れる。
7項目も挙げたタイムテールブルだけれど、これだけを一つのバールで制覇することはない。夕食時に数軒のバールをはしごすることもあって、そうなると3軒では済まなくなる。
はしご酒ならぬ、はしごバールはこの国の立派な食文化なのだ。
【宙を舞うトルティージャ】
夜9時半を過ぎた頃、マヨール広場の外周、クチジェーロスの門の周辺をぐるりと回る。歴史を感じさせる石壁に鉄格子の窓、そして、黒地に中世ヨーロッパ風に書かれた≪トルティージャ≫や≪チャンピニオン(マッシュルーム)≫専門店の文字が夜の帳の中に妖艶に浮かび上がる。
同じ場所でも昼の顔と夜の顔が一変するマドリード。特にこの辺りには、ヘミングウェイに所縁のあるレストランや、穴倉の隠れ家といった風合いの怪しげ気なバールなどが立ち並び、夜の街を構成している。
情報が豊富にあるというのは、同時に、選択肢が在り過ぎて迷ってしまうもので、どの店にしようかと決めかねていると、賑わい始めた一軒の店から、温かで懐かしい匂いが漂ってきて吸い込まれるように扉をくぐった。
***
店のキッチンを覗き込む。
腕っぷしの良いシェフが卵20個分はあるだろう溶き卵をフライパンに豪快に流し入れる。すぐに、調理した野菜と手早く合わせて半熟になるまでザッザッとかき混ぜ、片面が程よく固まったところで一気にひっくり返し、さらに片面を焼き固める。カシャンという勢いの良い皿の音と共に、真ん丸な≪トルティージャ≫が店のカウンターに置かれる。
ここまでの一連の動きがまるで手品を見ているように鮮やかで、思わず見入ってしまった。
まだ湯気の上がる黄色いを切り分ける。両面が絶妙に焼き固められた中からジャガイモに絡まったトロリとした卵が姿を現した。
≪トルティージャ≫は、フライパン全体を使って丸く大きく焼いたスペイン風オムレツのことで、ジャガイモだけのシンプルな≪トルティージャ≫は「トルティージャ・エスパニョーラ」と呼ばれ、この≪トルティージャ≫こそがスペインの庶民の味であり、同時に家庭の味でもある。
18世紀初めに襲った食糧難からスペインを救ったジャガイモ。スペインはヨーロッパで初めてジャガイモを食用として取り入れた国でもある。
地下で育つので戦争で荒らされることもなく栽培収益率のよいジャガイモの栽培は、18世 紀以降、ヨーロッパ北部・中部の農村で大きく拡大されていった。ジャガイモの入った黄金色の丸い≪トルティージャ≫は、時期的にもう少し後に勃発したカルリスタ戦争の頃に、ナバーラ地方の女性が考え出したものだという説がある。
ちなみに、ジャガイモ入りが「トルティージャ・エスニョーラ(スパニシュ・オムレツ」なら、卵だけのプレーンオムレツは「トルティージャ・フランセサ(フレンチ・オムレツ)」と呼ばれている。
そうすると、「トルティージャ・フランセサ」の定義はあるのか気になって、家に遊びに来ていたフランス人に聞いてみたことがある。
彼は、首を傾げながら、定義も決まったレシピも聞いたことはなく、生クリームやバターを使ってそれぞれの母親が作るオムレツのことじゃないかと答えた。さらに、自分の家のオムレツにはいつもパプリカとチャイブが入っていたのだと、クシャリと顔を崩して懐かしそうに言い足した。
フェラン・アドリアやジョアン・ロカといった世界最高峰のシェフも彼らの母の作る「トルティージャ」に敵うものはないと公言する。
半熟であろうが固焼きであろうが、ジャガイモがスライスされていようがブツ切りであろうが、黄色く焼かれた母の卵焼きの味がソウルフードであるのは万国共通なのだ。
やっぱりそうなのだ。
スペインの母が丸く焼いて作るのが「トルティージャ・エスパニョーラ」で、フランスの母が作るやんわりと楕円形にまとまったのが「トルティージャ・フランセサ」。
定義なんてない。
例年、バスク地方では完成度と美味しさを競うトルティージャ・コンクールが行われる。テレビからは、惜しくも入賞を逃しインタビューを受けるコンクール参加男性の映像が流れている。
「賞なんてどうでもいいんだ。うちの母親の≪トルティージャ≫は、誰が何と言おうと最高なんだ。それをここで食べて貰えただけで最高さ」
満足そうに晴れ晴れとした笑顔が画面を埋めた。
口ではなく、心で食べる。そうして食べたものはきっと、身体だけでなく細胞の中に永久に消えない栄養となって残る。大切な記憶という名で。
【哀愁のマッシュルームとアコーディオン】
店の外に出ると、さっきまで灯りすら燈されてなかったはずのマッシュルーム専門店にも既に灯りが煌々と灯され、入り口からは人が溢れ出ている。
店の一番人気はもちろんマッシュルーム料理。カウンターのある細長いホールを横切って奥の小さな空間へと潜り込む。キッチンでは山積みにされた真っ白いマッシュルームが次々に焼かれていく。
刻んだガーリック、パセリ、生ハムをマッシュルームのかさの部分に入れ、たっぷりとオリーブオイルを回しかけて鉄板で焼き上げるシンプルなマッシュルーム料理がこの店の名物。どの客もこの料理を目当てにやって来る。
マッシュルームの窪みの中に溜まったソースを零さないように細心の注意を払いながら、マッシュルームにつき刺された爪楊枝をつまんで丸ごとに口に頬張る。
「ハフッ!」
焼かれた舌がジュンと泣き、あぁぁと音にならない声が漏れる。オリーブオイルとマッシュルームの汁に、生ハムの塩味、ガーリックの旨味とパセリの爽やかさが絶妙に合わさった美味しさといったらない。計算された美味しさというよりも、計算されない偶然が生んだ賜物というほうがピッタリくる。
小さな陶器のピッチャーに入ったワインを追加オーダーする。小さな店に所狭しに詰め込まれた人々の熱気も加わって、ワイングラスはあっという間に空になってしまうのだ。
アンティークな内装に加えて、落ち着いた年配のカマレロ。若者で賑わうカジュアルな店とは異なる趣がある。物珍しそうに辺りを見回していると、アコーディオン弾きのおじさんが近寄ってきた。
「コンニチハ」
おじさんは、片言日本語でそう言うと、目の前でアコー ディオンを演奏しはじめた。けれど、その美しい音色を楽しんでいると、おじさんは急に突然プイと後ろを向いて別の客の所へ行ってしまった。チップを渡さなければいけなかったのだったと後から知った。
***
つい最近この店に立ち寄った友人から、「味加減が変わっちゃったのよ。昔みたいじゃないの」という話を聞いた。ノスタルジックなアコーディオンの音を聞きながら食べるマッシュルームの鉄板焼き。おじさんは今でもアコーディオンを弾いているのだろうか。
その昔、あの音色を聞きながら過ごした時間を愛おしく思い出す人が世界中にきっと沢山いる。
そして思う。
もし、いつかあのアコーディオンのおじさんに会うことがあったら、異国の夜に素敵な音色を奏でてくれたお礼を言いたい。もちろん、チップも添え
て。
一昔前は、電柱の数よりもバールの数の方が多く「犬も歩けばバールに当たる」と言われていたのが、2019年に世界を襲ったパンデミックの影響で、「その土地の顔」が現在一つ、一つと姿を消している。
そこでしか味わえない料理がある。その場だから生まれた会話がある。そのバールだけが分け与えてくれる時間がある。
セピア色に色褪せてボロボロになってしまっても、ずっと心の中に仕舞っておきたい風景が存在したことを決して忘れたくはない。
「今、食べて生きていますか?」
夜はまだまだ続く。明日はいよいよマドリードを発つ。
お題『トルティージャについて聞きたい事や思い出』
来週水曜日より本格的にスタートする Twitter Spaces ですが、リスナーの方々により気軽に参加していただけるように、『お題』を出してみることにしました。
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