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一本の傘がプレゼントしてくれたもの

誰にも話したことのない遊びがある。



あれは幼稚園に通っていた頃かもしれない。私は、塗り絵、折り紙、工作と手を動かして遊ぶことが多かった。

特にブロックは小さなピースがいつの間にか足りなくなっていって何度も買い足すものだから、膨大な量のブロックがアルミ製のおかきの缶の中に詰まっていた。

毎日、畳の上にブロックの缶詰をザバーッと広げては、組み立てたり壊したりしながら何時間も遊んでいた記憶がある。

ただ、もう一つ、いつも頭の隅っこへばり付いて離れない同じ頃の遊びの記憶がある。

他の遊びなら姉と一緒のこともあったし、ブロックについては、友達が遊びに来て、私があまりに黙々と遊ぶものだから、気が付いたら友達が帰ってしまっていたこともある。

その遊びは違った。それは、誰にも内緒でたった一人で楽しむ世界。



母の目を盗んで七色の水玉模様がついた水色の傘をこっそりと持ち出す。向かう先は家から50メートルほど先にあるブロック塀。

ブロック塀は当時の私が万歳をしたら手が届く高さだったから、それほど高い塀ではない。

傘の柄のカーブを塀の上に引っ掛けて、勢いをつけて飛び上がり、塀の上にエイヤ!とよじ登る。

白いズック靴の先がブロック塀に摺れてボロボロになる。指先が真っ赤になって爪がギザギザになってくる。

やっと塀の上に立つ。
傘を手に取ろうとしゃがんだ拍子にバランスを崩して落っこちる。

最初からやり直し。

やっと塀の上に立つ。
今度はうまく傘を掴んでまた立ち上がる。
傘を開こうと手をスライドさせるとバランスを崩して落っこちる。

また、最初からやり直し。

やっと塀の上に立つ。
開いた状態で引っ掛けておいた傘を手に取って立ち上がる。
今度は落っこちない。

ドキドキしながら開いた傘を頭上に支えて塀の上からジャンプした。


ドスン!


あれだけ何度も何度もよじ登った割には、新米メアリーポピンズの初飛行は鳥のように悠々としたそれとは程遠い、傘が邪魔でしかない垂直落下にすぎなかった。

それでも、ここで止めればいいものを、新米メアリーポピンズはなかなか頑固者。こんなはずじゃなかったと再び塀によじ登る。

何度も何度もよじ登って、その度にドスンと落っこちる。

一体、どこが楽しいのか分からないその行為をひたすら繰り返す新米メアリーポピンズ。


けれど、ついにその時がやってきた。

傘をしっかりと両手に持ち、塀の上を蹴飛ばしながらジャンプする瞬間、風がひゅうと傘の中に舞った。

時が止まる。誰かの大きな手に優しく掬われるように、私の体がふわりと宙に浮いた。


風なんて吹いてなかった。
あの時、私だけに風が吹いた。


私は風の中で左右にグラリと踊らされながらアスファルトの地面にドサリとおろされた。バランスを崩して落ちたものだから、両足の膝から血が出て、大切な傘の骨も一本折れてしまっていた。

足も傘も、もうどうだっていい!

壊れた蛇口から水が吹き出すように上気した自分が溢れ出していく。何か叫びたいのに声にならない。立ち上がって手足を思い切り動かしてみる。飛び跳ねてみる。

どうやって表現したらいいか分からない未知の感情を一粒も溢さないように全身で受け止めた。

飛んだ……。
飛んだんだよ!

ほんの一瞬だったけど、確かに私は宙に舞った。




すっかり大人になってしまったメアリーポピンズは飛ぶ事を忘れてしまった。

何度も何度も塀によじ登ることもなくなった。

足から血なんて出したくない。大切な傘を失ってまでやる必要なんてない。

いつ飛べるかどうかも分からない夢を追いかげるよりも、手短に簡単に叶えられる夢で満足しようとした。

でも、自分自身が感じたあの感覚はどうしても消えないし、消せない。消したくないし、消しはしない。

ほんの一瞬だったけど、確かに私は宙に舞った。

ほんの数秒だったけれど、何十年経っても思い出す体感。



どうして大人になると忘れてしまうんだろう。
後先を考えないでただ「やりたい」という気持ちを素直に開放することを。


どうして人目やら、欲やら目先だけのものに流されてしまうんだろう。
飛ぶ空はそこにあっても、飛ぼうとしなければ飛べはしないのに。



もう一度、傘を手に取ってみよう。

飛べるかどうかなんて考えなくていい。





仲さんの息子さんが一年経った今、ホウキで飛ぶことを再開した。
きっと大丈夫!


大切な記憶を思い出させていただきました。
ありがとうございます。






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