見出し画像

貧困ビジネスの表層

 noteとは別のSNSで悪徳無低(無料定額宿泊所の略、以下同)、もとい貧困ビジネスに関する新聞記事が流れてきたのですが、なんというか率直に何年も前から代り映えがしない内容だな、と思いました。貧困ビジネスに絡めとられた人のインタビューを通じて生活保護行政を批判する構成まで一緒で、世の中は新型コロナの盛衰も含めて大いに状況が変わっているにもかかわらず、ですよ。

 何年も同じ構成で事例だけ差し替えた内容が新しい記事としてアップロードされ、それが問題提起として一応通ってしまうのは、業界の構造がここ何年かで少なくとも良くなってはいないということでもあるので、記者とは別に利害関係者も決して褒められたものではないのですが、同時にこの手の記事が社会、あるいは利害関係者に対してインパクトをほとんど与えてこなかったということでもあるのです。同じ媒体で貧困ビジネスに関して記事を出している人についてもう一人くらい心当たりがありますけど、そっちもあんまり変わり映えがない感じです。正直言って。

 なんでこういうことになるかというと、利害関係者、というか利用者以外の当事者から中身のある情報を取れていないんですよね。上に挙げた記事に出てくる福祉事務所職員のコメントなんかはそのすさまじい他人事感がある意味非常にリアルだなあと思うわけですけど。実際問題、ある程度規模感のある福祉事務所で住所不定の新規開始ケースの処遇を"一家言持てるくらい経験を積んだ"職員は一部の例外を除けばごく一握りなので、コメントを取るにしても福祉事務所職員だから誰でもいいわけではなくて、ちゃんと住所不定での新規相談を受ける人、例えば急迫した住所設定の必要を業務として経験したかどうかだけでも、証言の説得力自体がかなり変わってしまうわけです。例えば、住む場所がない人がいよいよネットカフェ代も払えなくて、よりによって年末年始の連休前日の午後に生活保護の相談に来ました、なんて話は嘘のようですが本当にあるのですよ。というか反貧困界隈の人はそういうタイミングでも保護申請に同行したこと、あるでしょう。かように、住所不定状態での新規相談はいつだって待ったなしです。衣食足りた記者とは根本的に時間の流れが違うのです。記事に出てきた人だってそうでしょう。ホームレス待ったなしの鉄火場で重要な判断を迫られている。でもそれは福祉事務所の職員も同じだったりします。そもそも行政機構のもっと上のレイヤーの問題でもありますしね。

 この手の貧困ビジネス記事が何年も代り映えがない根本的な原因は、(万が一取材を申し込んだとしても)一部の被害者以外の利害関係者のほとんどが、記者の取材に協力しないからです。そもそも取材を申し込んだのかは知りませんけど。
 当然でしょう。行政機構にはそもそも守秘義務があって、ただでさえ記者に情報提供しにくいところ、頭の上から「行政の不作為」なんて言われて協力したくなる人がいますか。自分たちが問題意識を持っているとして、それを共有できる人に見えますか。みわよしこさんは生活保護行政に関して内部の利害関係者からちゃんとコメントを取っている一方で同じ自治体の生活保護行政を手厳しく批判する記事を書いていたりしますね。この方のことはほとんど存じ上げないのですが、利害関係者からこうやってコメントを取りつけられるということは、ある程度これまでの言論から「ちゃんと書いてくれる」と判断されたのだろうと思います。貧困ビジネスに関してはこういう内部の利害関係者から問題の深層というか構造的な問題についてコメントを取ってこれた記事をわたしは見たことがありません。国の審議会とかでは言及されている論点もあるのに不思議ですね。

 実際に貧困ビジネスの事業者からコメントを取りつけることは困難を極めるでしょう。彼らには取材に応じるメリットが何もありません。生活保護行政に携わる人からコメントを取ることも同様に困難を極めるでしょう。なんたって「行政の不作為」ですからね。貧困ビジネスに関する彼らのこれまでの言論を顧みれば、リスクを取って取材に応じたとして、それが報われる形で記事にならないことはほとんど明白でしょう。善良たらんとする無低も記者や無低を有効な支援として活用できた人も記者の視界には入りません。また、デジタルネイティブ世代で健康な判断能力のある人は決して取材に応じないでしょう。この手の記事に事例として出てくる人はSNSやコメント欄でめちゃくちゃ叩かれるからです。したがって、この手の記事のネタになるのはいつも偏って厳選された被害者です。残念なことにそれがより一層自己責任的な風潮に寄与することになるのです。実際の貧困ビジネスの被害者はもっともっと裾野が広いのに、本当に一般人が思わず「自業自得でしょ」と言いたくなるような常人には理解しがたい例ばかりが記事になり、それを不適切に一般化するから問題が矮小化されるわけです。長々と書きましたが、要するに最初から記事に角度がついていて、取材自体が結果的にチェリーピッキングになっているのでは?ということです。取材を断られてこんな感じなのか結論から先に書いているのかはわかりませんが。

 わたし自身、何年か前から貧困ビジネス、特に無料定額宿泊所とその利害関係者たる生活保護行政に関して私なりの見解を記事にして書いてきました。それらはマガジンにまとめて下に貼っておきます。かなり難しいとは思いますけど、来年はもうちょっとまともな取材記事が出てくれるといいですね。個人情報の守秘義務という制約から自由に問題提起をして社会にインパクトを与えられるのは当事者に責任を負わないアカデミアやメディアの特権です。その特権をどうか空費しないよう、衷心から願いたいものです。



いいなと思ったら応援しよう!