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ITエンジニアの鬱現場もジャニーズも吉本もフジテレビも『世間』が産んだ異常体質
日本特有の概念である『世間』は非常に厄介です。社会問題にも発展する根底には『世間』という名の悪魔が潜んでいるからです。
まず『世間』という概念が注目され始めた背景には、西洋文化との対比がある。
特に近代以降、日本が西洋の「個人主義」に触れたことで、「日本には”社会”がない。あるのは”世間”だ」 という認識が生まれた。
1. 「世間」はいつから注目され始めたのか
「世間」という言葉自体は古くから日本にあったが、学問的に注目され始めたのは 戦後(1950年代以降) そのきっかけを作ったのが、哲学者の和辻哲郎 や 歴史学者の阿部謹也らだ。
・和辻哲郎『風土』(1935年)
→ 日本は 「個人主義の社会」 ではなく、「集団意識の強い世間」 で動いていると分析
・阿部謹也『「世間」とは何か』(1995年)
→ 日本の「世間」は、西洋の「社会(society)」とはまったく違う仕組みと指摘
→ 日本では「公的なルール」よりも、「世間の空気」が支配
特に 「世間と社会の違い」 がハッキリ認識され始めたのは、戦後日本が「民主主義」「個人主義」を掲げながら、実際は何も変わっていない ことに気づいたときだった。
2. 「世間」と「社会」の決定的な違い(西洋との対比)
日本と西洋では、人と人の関係性がまったく違う。
つながり
日本:義理・人情・空気でつながる
西洋:契約・ルールでつながる
問題が起こったら?
日本:みんなで「空気を読んで」調整
西洋:ルールに従い解決
悪いことをしたら?
日本:「世間体」を失うことが最大の罰
西洋:法律違反なら罰せられる
価値基準
日本:「みんなと同じ」が正しい
西洋:「個人の自由」が正しい
つまり、西洋の「社会」はルールと契約で成り立っているのに対し、
日本の「世間」は 「空気」と「同調圧力」で成り立っている。
3. 「世間」はなぜ問題視されるようになったのか
戦後、日本は「民主主義」を導入したが、本質は変わらなかった。
・民主主義(本来) = 個人の自由と権利を尊重する社会
・民主主義(日本版) = みんなの意見に合わせる「世間の空気」
このズレが、戦後になって徐々に問題視されるようになった。
特にバブル崩壊後(1990年代以降)、社会のひずみが明確になり、
「日本って本当に社会じゃなくて、世間で動いてるよな?」 という認識が広がった。
例えば:
・「日本の企業は実力主義じゃない」
→ 「上司や世間の評価がすべて」
・「正しいことを言っても報われない」
→ 「世間の空気を読めない奴は潰される」
・「法律があっても意味がない」
→ 「ルールより、世間の”空気”が優先」
こうした背景があって、1990年代以降、「世間の問題」が本格的に語られるようになった。
4. 「世間」は西洋化によって崩れるのか
ここが重要なポイントだが、日本がいくら「西洋化」しても 世間は崩れない。
なぜなら、日本の根底には 「和の文化」「村社会の意識」 が染みついているからだ。
・江戸時代の「五人組制度(相互監視システム)」
・明治時代の「富国強兵(個より国家優先)」
・戦後の「集団就職・終身雇用(会社が家族)」
日本はずっと、「社会」ではなく「世間」で動いてきた。だから、たとえグローバル化が進んでも、根本的な意識は変わらない。
今でも「出る杭は打たれる」「空気を読め」「忖度しろ」という文化が残っているのが、その証拠だ。
わたしはこの『世間』の性質を変えたいと考えています。ぜひ力を貸してください。
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