矛盾という名の愛
片想いか、それとも両想いか――そんな問いは些末だ。
重要なのは、私がこの感情をどう生き抜くかということだ。
五年間、私は一体何をしてきたのか?
その答えは、単に時間を浪費したのではない。
むしろ、この渇望を抱きしめ、私自身を鍛え上げてきたのだ。
back numberの「クリスマスソング」と斉藤和義の「歌うたいのバラッド」。
これらの旋律が私に、あなたを思い出させるたび、私は苦しむ。
だが、苦しみこそが私を高める。
一緒にいる時に流したその音楽で告白したつもりでいた。
だがそれは何だ?ただの弱さではないか?
あなたの目をまっすぐ見て、自らの真実を語れない者は、
愛の戦士ではなく、ただの囚人だ。
未来が見えない――それがどうした?
未来など、私たちが生き抜き、創り出すものではないか。
臆病か、傲慢か?いや、それは違う。
それは私たちが未だ自由の意味を理解していないだけのことだ。
もし、あの時あなたを選んでいたら、別の未来があったのだろうか?
そんな問いは無意味だ。
運命とは、過去を悔やむためにあるのではない。
むしろ、それを乗り越え、今を肯定するためにある。
私があなたではない他の誰かを選んでも、
あなたは後悔しないだろう――
だが、私もまた後悔すべきではない。
後悔とは奴隷のすることだ。
私は、あなたが他の誰かと結ばれる未来を想像するだけで息が詰まる。
だが、その苦しみすら私の生の一部だ。
私はそれを受け入れる。私はそれを愛する。
愛とは、自らの弱さを直視する勇気だ。
電話の最後に、「愛してる」と聞こえた気がした。
だが私は、その言葉に答えることすらできなかった。
なぜか?それは、私が真実を恐れたからだ。
自由を失うことを恐れたからだ。
私たちはきっと、縛られることを恐れている。
だが、自由であろうとすることはまた、孤独を愛することでもあるのだ。
だから私は問う。
この片想いは、私を滅ぼすのか?
それとも、私を新しい存在へと昇華させるのか?
私はこの矛盾の中で立ち上がり、私自身を肯定するだろう。
私の愛、それはただの感情ではない――
それは、私が生きるための意志そのものなのだ。