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なんでもない日常が
ふと強く思い出す、なんでもない日常。
いつ何が起きるかわからない。
最寄りの駅からバスに乗ること45分、山奥にあるじいちゃんばあちゃんの家。小さい時はいつも長旅で遠く感じていた道のり。大人になるとこんなもんか思うくらいだけど、あの頃は小旅行だった。
こんなところに住むのは無理だと思う反面、アパートに住んでた私にとってはこんなに大きくて広い家はいいなと思っていた。
一軒家、昔ながらの平屋造り。畳、床の間、障子と襖。襖を外し、仕切りをなくすと20畳くらいの広さになる居間には、今ではもう珍しい掘り炬燵があって、もちろんみんなが大好きな縁側もある。トイレはこれまた珍しいゆわいるぼっとんトイレ。外にはコイとじいちゃんが釣ってきた川魚がいる池と、ばあちゃんが植物を育てるまあまあ広さのあるガーデニングスペース。なんでも自分で作っちゃうじいちゃんがいつもこもってた作業場。家の前には川、裏には山があり、畑がある。猪、鹿、猿そして熊だって出没するくらい自然が豊かだ。
家で使う水は川の水。そのくらい綺麗な水が流れている。
数年前についにエアコンを付けたけど、それまで夏でもエアコンいらず。窓が全開に開かれ、家の中まで虫が入ってきては逃げ回っていた。
何も言わずに私のために窓の外へと逃がしてくれるじいちゃん。
いつだって思いだすのは、なんてことはない日常の一部。
だけどなぜだか鮮明に、昨日のように、蘇る。
夏。
家の前の川をせき止めて、じいちゃんが釣ってきた魚を放し、それを手掴みするというなんと素晴らしい遊びをしていた。
ツルツル滑る魚は掴むのが難しくて、全身びしょびしょでゲラゲラ笑いながら魚を追いかける。
魚を焼くために火をおこしているじいちゃんを横目に、風が通り抜け日差しの差し込む縁側でちょっと一眠り。
夕方になるとバイクでどっかに行くじいちゃん。いつも手土産にカルピスアイスを買ってくる。夜はお決まりの花火をして、打ち上げ花火の音にびっくりしている私と姉の顔を見ながら満足げに笑うじいちゃん。
そんな夏をよく思い出す。
姉のことを呼び捨てで呼ぶ私に「お姉ちゃんって呼びなさい」と叱るばあちゃん。誰よりも起きるのが早くて、朝5時には台所にいた。ばあちゃんは台所にいるか、座椅子に座って編み物か刺繍をしていた。
そんなばあちゃんは、ご飯を食べる前にいつもお腹に注射をして、1日に何度か自分の指先に針を刺して血を取っていた。注射が大っ嫌いだった私は、なんでそんなことを自分の体にしているのかと不思議で仕方なかった。理由がわかったのはしばらく経ってからだった。
ばあちゃんは病気だった。
今なら病名もわかるけど、当時は病気で入院したりしててあんまり良くないことだけわかっていた。
そんなばあちゃんの旅立ちはあまりにも急だった。
私が高校2年生の時。
先生に呼ばれて、はっきり何を言われたのか覚えてはないけど、ばあちゃんが亡くなったことを告げられた。
時が止まるとはこういうことかと、一瞬全てのことが遠くに感じて、言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
気づいたら涙が溢れ、そのまま息の仕方を忘れ、過呼吸になっていたらしい。体に力が入らなくなった私は先生におんぶされて、保健室に連れて行かれ、しばらく経ってから落ち着きを取り戻した。
人の死を身近に感じた初めての瞬間だった。
お葬式の日、棺のなかにお花とばあちゃんの好きだった物を入れ、体に触れることができる最後の瞬間、とうとうじいちゃんが泣き崩れたあの瞬間を15年ほど経つ今も鮮明に思い出すことができる。
ばあちゃんはじいちゃんと戯れ合うのが好きだった。じいちゃんの顔を数回手で擦り、嫌がるじいちゃんを見て笑うばあちゃんが今でも私の中にずっといる。
それからしばらくは元気のなかったじいちゃん。
高校生から大学生になった私は、じいちゃん家に行く回数も減っていた。
それでもお正月にはじいちゃんに会いに行った。
ばあちゃんがよく作っていた、じいちゃんの大好物のおはぎを、母が作り、誕生日に持って行ったりもした。
だんだんと前よりも活動的でなくなっていくじいちゃんの老いを少しずつ感じていた。年齢と共に老いていく体に逆らうことはできず、入退院を繰り返すようになった。幸い、一緒に住んでいた叔父が介護士だったこともあり、叔父が面倒を見てくれいた。
大学生から社会人になりさらに会いにいく回数は減った。入退院を繰り返しているのを知りつつ、自分の生活に精一杯で全然会いに行かなかった。
そしてコロナという感染病がさらに会いに行くことを遠ざけ、お正月でさえ会いに行くことはなかった、その年の夏。
また突然にやってきてしまった。
いつものように出勤した直後、母からの連絡通知。普段業務的なことしか連絡をとらない母からの連絡だから、何かあるんだとすぐに開いたメッセージには
「じいちゃんが亡くなった」
と。
時が止まった。
職場だということを忘れ、後悔と悔しさで涙が止まらなかった。
会いに行かなくてごめんね。
何度ごめんねと心の中で言っただろう。
1年以上顔を合わせていなかった。
やるせなかった。
じいちゃんに会いに行かなきゃって何度思ったか。
呼んでくれてたんだね。
1年以上ぶりに会ったじいちゃんは棺の中にいて、私が覚えていたじいちゃんではなかった。
流れそうになる涙を堪えて、「会いに行かなくてごめんね」と伝えた。
あとはただ、手を合わせ静かにその時を感じるしかなかった。
じいちゃんのお葬式は、ばあちゃんと同じように家で行われた。
じいちゃんの顔を見に、お隣さんから山の上のご近所さんまで本当にたくさんの人が来てくれていた。
お花をたくさん入れて、大好きだったおはぎも入れた。
棺を閉じる最後の最後まで、私は「ごめんね」を言い続けた。
一緒に過ごしたなんでもない日常がふと頭の中に現れる。
「ありがとう」と心の中で呟きながら、笑いかける。
いつも見守ってくれてありがとう。
元気にしていますか?