自己肯定感探求の奥から生まれた疑問

数年前は自分は自己肯定感が低いのだと思っていた。
色々なことに自信が無いし、自分を卑下してしまい、生きづらかったと思う。(今も生きづらいっちゃ生きづらい)
なので、「自己肯定感を上げていかなきゃ」と思って行動や意識改革をしていたと思う。

ただ、自己肯定感が高いか低いかなんて、目に見えないもので、かつ自分にしか判定できないような感覚だろうから、実際に変化があったのかはわからない。

けれどある時、人間社会にうんざりして「もう誰とも一緒にいたくない」という自分の瞬間的な気持ちに向き合い、どんな人となら一緒にいられるかを考えた時に、ずっと一緒にいたいと思える人間像は「もう一人の自分」だった。

もうこのまま自分をコピーした人間がいたとしたら、もうその人がこの世で一番私の理想のパートナーだということに気づいた。


なにこれ。私、自分のこと大好き過ぎるのか?

実は自己肯定感高すぎる人間だったのかもしれない!?

と気づいたのは3年くらい前のこと。
それから自分自身の「自己肯定感」は謎になり、高くする試みは特にしていない。


そもそも「自己肯定感」というものを間違った意味で認識していたかもしれない。
上記の自分大好き人間だったのか?という視点で考えると、「自分自身に満足はしていない」とはっきり言える。だから、「私って最高だよね★」と思うこともない。
なんなら性格とか能力のダメさに落ち込むこともあるし、鏡は見たくない。

でも、「まあ、しょうがない。」とは思っている。

「自己肯定感」とはなんぞや?と高める方法を見聞きしていたり、ここまで生きてきてとても大事なことは

「自分をありのまま受け入れること」

というのもわかってきた。
だから、自分は
「私はこんな奴ではあるけど、まあ、そういう感じで生まれてしまったし、育ってしまったからしょうがない」
と受け入れていると言えるから、自己肯定感はあるのかもしれない。

「肯定」の部分がしっくりこないのかもしれない。

でも「自分をありのまま受け入れる」と「ただあきらめている」とどう違うんだろう。

自分はどっちかと言うと「あきらめている」んだと思う。

さあ~「自己肯定感高いのか低いのか?」問題の次は「自己受容と諦観の違い」についてが新たなお題になりましたよっていう話を書き留めてみました。

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