キルケーと出会った旅の思い出

今年の夏も旅はしないだろうと諦めている。暑すぎるし、そんな体力はない。

10年とちょっと前くらいは私もまだ若かったし、日本の夏ももう少し優しかったので、夏の東日本エリアの乗り放題切符で一人旅をした年があった。

お題の「忘れられない旅」を見た瞬間思ったのは、顔も憶えていないけど忘れない人がいる。
名前も憶えていない。けれど、恐山近くの山で一人暮らししているおばあさん、元気なのかな。


旅の目的は「恐山に行く」だけ決めて出発し、函館に寄って海鮮を食べ、五稜郭に行き、行きのルートは太平洋側だったので、帰りは日本海側からにして白神山地で青池に感動し、サザエのつぼ焼きを食べ、不老不死温泉に入って帰ったという非常に充実した旅だった。
多分すごく満足した旅なので10年以上前でもちゃんと覚えている。

おばあさんと会ったのは、2日目(初日は鈍行で移動だけで終わった)の、恐山に行く日だった。
恐山最寄りの本州最北の駅「下北駅」だったと思う。
当時の私は下調べが甘く、駅から恐山行きのバスの時刻を確認していなかった。さらに「でも30分くらいは余裕があるでしょ」とも思っていたので、駅周りをわくわくとうろついてみた。その場の空気とか雰囲気を味わうのも好きなので。
で、わくわくうろうろしている時に発射したバスに人がたくさん乗っているのを見た瞬間に乗り過ごしたことに気が付いた。
「とはいえ、観光地だから30分後くらいにまたあるでしょ」と思いつつ、バスの時刻表をチェックしに行った。
そして田舎の洗礼を受けるのである。
なんだかんだ都会で生活している己の甘さを突き付けられた。

確か、次のバスは3~4時間後だったのである。
あの時は結構ショックだったな~。
でも割とすぐに次の作戦を考え始めていたので、私は私が思っているより大丈夫な人間かもしれない。
駅周りには特に時間を使いたいような惹かれるものは無かったので、停車駅をたどる形で、ちょっとでも距離を稼ごうとした。若い!若かった!

ちなみにこの時はガラケーで、グーグルマップのようなツールはない。
さらに私は地図とか地理に強くはない。なぜいけると思ったのか?若かったんだと思う。
で、歩き始めたけれど、わりとすぐに道に迷った。そして道を聞こうにも、人がいない。
本格的に焦り始める。とにかく人を探す。

やっと見つけたのは多分コンビニのような役割の、土間が広いように見える民家のような商店。ドアが開いていて、店の人とお客さんらしきおばあさんが話しているのが見えた。

人がいたことに安心して、声をかける。道に迷ったこと、恐山行きのバスに乗るためにバス停を探していることを伝えた。
すると、2人がバスが来るまでまだまだ時間があることを言ってきた。知ってます知ってます。私が乗り過ごしたこともわかっちゃったんだろうなあ。

するとお客さんのおばあさんが、「まだ時間あるからそれまで私の家においでよ。バスの時間が近くなったら送ってあげる」と申し出てくれたのです!!

この時、普通に「そんなこと申し訳ないからバス停だけ教えてくだされば自分で行きます」という返事をしたと思う。半分は本当にこの通り。当時の自分は人からの好意を「申し訳ない」で素直に受け取れない気質が今よりバリバリに強い。

あと半分は、

こんな見ず知らずの旅人を簡単に家に招くなんて…
昔話によく出てくる、旅人を家畜に変える妖婆では?

と思った。
警戒心持つのは大事なこと。

遠慮しても、おばあさんもお店の人も「こんな暑くて何もない中、何時間も待つのは大変よ~」と勧めてくる。
田舎の人優しい…私はありがたく好意を受けた。

そしてこっそり、

おばあさんだから、もし肉弾戦になっても若い私のほうが勝てるはず…!!

と万が一のことも考えていた。


おばあさんの家は車で20分くらいかかったと思う。けっこう山のほうに入っていった。
印象でしか覚えていないけれど、本当に昔話の挿絵であるようなお家と周りには畑がいくつもあった。
時間があるからと、家の隣のトウモロコシ畑でトウモロコシを数本一緒に収穫し、おばあさんがすぐに蒸してくれた。
同じく畑でとれたキュウリもいただいた。トウモロコシ、すごくおいしかった。

実は食べる前は

確か出された食べ物を食べると旅人は動物になっちゃうんだよな…

とまだ疑う気持ちも1割残っていたことも憶えている。

おばあさんは、昔はスナックのママをしていたとのこと。もう何年も一人で暮らしていること。時々旅行者の人を私のように招くことがあること。連絡先を交換するけど、「私メールとかわからなくて。教えてくれる?」とガラケーを見せてきた。
私もそこで一応メールアドレスを交換して、「メールしますね」と言った。おばあさんは「私はメールわからなくてできないと思う」というようなことを言っていたと思う。

おばあさんは趣味で作るという縮緬のパッチワークのポーチをくれた。このポーチは今も使っている。

おばあさんの家での滞在時間はそれほど長くなかったと思う。
おばあさんは、「帰りの電車で食べな」とキュウリの漬物と先ほどのトウモロコシをラップに包んでくれた。
それから、近くのバス停まで送ってもらい、お礼と別れを告げた。


私はその後、恐山に無事にたどりつき、観光客ピークが去った時間帯だったので、温泉独り占めと散策ものんびりできた。
恐山は恐山で強烈に印象に残っている。


この旅から無事に帰ったあと、私はおばあさんにメールをした。
やはり返事はこなかった。


おばあさん、どうしているかな。
当時もけっこう高齢だったから、今はもしかするとお亡くなりになっているかもしれない。
でも、もしかしたら旅人を動物に変えて、命を吸い取って生き続けているかもしれない。
ギリシア神話のキルケーのように。





#忘れられない旅

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