感じて待つということ
昨日は日中にこれを書いてさくっとアップしようと思っていたのに、移動中に書き終わらずにそのまま下書き保存されていて、けっきょく次の日にもちこされているのである。
5日目:まあまあ飲める
昨日は起きた時からなんとなく「今日は軽めじゃないか」という予感があった。それは昨日寝る前にお茶をがぶがぶ飲んだからとか、そんなもんなんだけど。
実際に色もなんとなく薄めで、口を近づけた時の匂いも軽かったので、あんまり心構えなしにぐびっと一口。そのあと、ごぐ、ごく、と3口くらいスッと飲んでしまった。そのくらいで、もういいやと思って捨てた。
ちなみに、これだけ書いていると何を飲んでいるか分からない方はタグをご覧ください。
6日目:またもや苦い
昨晩は一度寝てから夜中に目が覚めて起きて、トイレにいってからお水をコップ1杯飲んでからまた寝たのだけど、それが2時くらいかな。新しい水分を入れてから翌朝起きるまで4時間程度だったので、今朝のはさぞかしあっさり飲めるだろうと予測していたのだけど。。。採ってみると色や匂いからして予想がハズレたことに気がつく。そして一口、苦っ、、、と飲んで終わりました。
どうやら、水分をとった量や睡眠時間ばかりじゃなくて、他の要因(体調や、感情面かな?)の影響の方が大きいのかも?と思われる。この辺はまだまだよくわからない。
いずれにせよ、飲むことへの抵抗は最初から少ない方だったけどだいぶなくなってきた。いつか甘くて美味しいのを体験してみたいな。
何もできない毎日
いつも、何もしないで終わってしまう毎日を過ごしている。実際は何もしていないわけではもちろんない。家事だってするし、友だちにメッセージしたり、出かけて買い物をしたり、本を読んだり、仕事について考えたり、やり取りしたり、子どもの世話をしたり、(←思いつくままに書いたら、なんともバラバラの順序。これが脳内の散らかりか・・・)物理的には何かしら行動はしている。しているのだが、毎日1日が終わると「今日も何もしなかった。」と感じてしまう自分がいる。
それはなんでだろう?と考えてみる。やりたいことリストにはいつも何十個もやりたい、やらなくちゃ、やったらいいだろう、のリストがあるのに、どれ1つも消化できない日々が続いている。身体は健康で、時間もあるのに、なぜだか行動ができない。
たとえば、寝るまで2時間くらいあるから、あれやってしまおうって思ってPCの前に座るんだけど、気がつくとネットサーフィンして2時間どころか3時間くらい経っちゃってることがある。ああもう寝なきゃ、明日こそ何かやろう、明日も時間があるから大丈夫って自分を慰めて寝る毎日。そんな毎日をたぶんもう何年も過ごしている気がする。何年もなんて書くと、まるでニートの引きこもりのようで、実際は企業へ出向いて仕事をしていたり、海で潜ったりと活動しているのに、なぜか精神的にはそのくらいもうずっと引きこもっているような気持ち。
ああ、悲しい。私はそうやって自分をダメだって思ってるし、いつまでたっても自分らしく全開で満たされて生きられていない。
感じて待つをやってみる
昨日友人とのやりとりで「自分の全エネルギーを解放する」ことを自分に許可するだけ。ということを言われた。それってどうやるの?解放したエネルギーで何をやったらいいの?とすぐに問うてしまうけど、どうとか何とかじゃないんだって。何をやるかは分からないけど解放してみる。どうやって解放するかじゃなくて、解放するって決めるだけ。
今日、朝起きてから頭がずーっとぼーっとしてて、ぼーっとしてるとついスマホの画面ばかりみてしまう。それももう疲れてやめたいのに、無限ループにはまってしまってやめられない。洗濯物干そうと思ってるし、いろいろやりたいのに、寝っ転がってスマホから離れられない。最悪だ。
そのとき、思い出して、やってみる。指がスマホの次のページをタッチしようとするときに、自分の内側へ意識を向けてみる。身体の感覚や、身体が何をしたいといってるのか?指をストップかけたことで、身体の中にいままでの動作の余波がながれているのを感じる。そして、それを感じたまま、待ってみる。頭はすぐに「次に何をするか?」と考えて、身体に命令をしたがるけど、それをしないでぐっとこらえて、ただただ、身体の感覚に意識を向けてみる。
すると波が静まって、もうスマホの画面はみなくて大丈夫になった。そして、さらに感覚に身を委ね続けてみる。私は、私のエネルギーを全て解放します。そう意図してみる。その感覚を言語化して理解したい衝動もやってくるが、それも我慢してそこに居続けてみる。待つ。そしてやっと、身体を起こそうという気がして、起きて、みる。
今日はおしまい。