雲が薄くなり晴れ間がのぞく
今日は雨は降らないのかなー?明日はせっかくの晴天なのに、明日は朝から出かけてしまうので、今日のうちに少しシーツや枕カバーなどを洗濯して干しておこう。今朝は私の頭の中の雨もやんで雲も少し薄くなってきているような感じ。
7日目:軽くて飲める
やっぱり頭の中の軽やかさに比例するんかな?今日は飲めるなーって予感がしてたら、やっぱり飲める。おいしい〜っていうほどじゃないけど、まあ普通にごくごくごくと3口くらい飲んだ。
慣れてきて、できたらこんどアレで洗顔とかしてみたいんだけど、どうやったらできるかなぁ?家族には内緒だから持ち歩いてうろうろしたくないし。なんてことを考えてる私。だいぶ大胆になってきた。笑
でも点鼻はぜひやってみたい。スポイトがあればいいかな?鼻の奥がすっきりするんじゃないかという気がしている。
雲の隙間から晴れ間がのぞいたら、晴れるのを待つより先に動いてみる
今朝は朝いちでまあまあおいしく飲めたこともあり、そのまま最初の宣言通りシーツを2枚、枕カバー6枚、それから布団カバーも2枚洗濯した。ついでにマットにも両面丁寧に掃除機をかけたり、布団乾燥機で布団をふっくらさせたり、雨続きでちょっと気になっっていた寝具周りを手入れできてすごくすっきりした。何かをやってすっきりしたときは頭の中もすっきりだ。
私たちはついつい晴天になったら思いっきり動けるのにって思いがちなんだけど、そうじゃなくて曇ってても思いっきり動いて遊んでたらいつの間にか晴れてたっていうもんなんだろう。何かで脳科学の先生も言ってたっけ、”やる気”なんていうのは幻想で、行動しているから気分がそのモードになるだけだとか。。。
”損した!”っていう気持ちはどこからくるか?
今日子どもが予定と違う行動をしちゃって、そのことによって余計な手間が掛かってイライラしちゃうことがあった。その時の頭の中はこんなかんじ。「あぁ、もう。なんでそんなことしちゃうかな。おかげでもう1回◯◯しなくちゃいけなくなったじゃん!」て、それは”損した!”みたいな怒り。
その時、思い出してふと感覚を内側に向けてみる。すると頭の中で文句のセリフを言っている私からちょっと離れてみることができる。そうやって見てみると気づいたのが「もう1回◯◯しなくちゃいけないって怒ってるけど、そもそも◯◯が1回で済むって思ってたんだな私は。でもそれって別にそうだと決まってたことじゃないよね。」ってこと。
たいがい私が”損した!”って思っているときって、「こうなるのが当たり前」と勝手に決めつけていたり、それをしたら「こんな気分になるはず」って期待しているようなことがあって、その勝手な決めつけより余計にお金や手間が掛かったり、その期待通りの気分にならなかったりすると、損したと思うみたい。
ネットショップで「この値段だったら、これくらい素敵な品物だろう」とか期待して買ったものが、実際に手にしてみたときに想像していたような素敵な気分にならかったときとかね。
でも、実はその期待をしている時点では実は何も確約されていないんだ。だって実際にその体験はまだ起こってないから。なのに過去の記憶や前例をもちだして、もう未来が確定したかのように「こうなる」を設定していて、それを基準に損した得したっていちいち比較しちゃうのっておかしいよね。
今日もそれに気づいて、「1回で済むと思ってた」ことを手放してみると、ただただそれを2回やるだけ。それ以上でも以下でもない。もうイライラしない。