日本の大企業と破壊的イノベーションを考える(後編)
前回こちらでデザイン思考やイノベーション 創発について書かせていただきましたが今回は大企業のイノベーションについて、もう少し話をさせていただきます。
1. 長期視点が鍵となる「ローエンド型」破壊的イノベーション
皆さんもご存知のように、破壊的イノベーションには「ローエンド型」と「新市場型」の2つがありますが、まさにクリステンセン教授のが指摘する「イノベーションのジレンマ」そのものが実際の現場で起こっていると思います。
1つ目の「ローエンド型」ですが、既存の製品・サービスよりも主要な性能は劣るものの、安価なものを提供するイノベーションです。本来、ローエンド型の破壊的イノベーションは、高機能、高単価のサービスを提供している大企業に対して、スタートアップ等の新規参入企業が簡便で低価格なサービスを提供して、まずは空白となっている下位の市場を開拓、改良を重ねることでより徐々に上位の市場をも奪っていくイノベーションを指します。しかし、大企業で新規事業を立ち上げようとした場合も、同じ企業内でも既存事業とのカニバリズムを避けようとして、ローエンド型の破壊的イノベーションが起こせないケースが多い。このような場合は、短期的な利益に目を奪われず、長期的な視点に立って、取るべき戦略を決定していくことが重要です。
例えば、リクルートは社内でのカニバリズムを気にせず、新しい事業を立ち上げせて社内でも競わせると聞きます。生き残った方を育てるという戦略ですが、その裏には「自社の新規事業に負けるようでは、いずれ遅かれ早かれ社外の競合に負けるだろう。それであれば、社内でより強い新たな事業を立ち上げ、育てた方が良い。」という考え方があるのではと思います。その時点で儲かっている事業を自分で壊しに行くのは、「言うは易し、行うは難し」だと思いますが。
2.目利き力が問われる 「新市場型」破壊的イノベーション
2つ目は「新市場型」で、新しい価値を提供することで新市場を開拓するイノベーションです。この場合、潜在ニーズを見つける力、それを目利きする力が非常に重要になります。
潜在ニーズを見つけるためには、まさにデザイン思考の習得が有効になるのですが、問題はアイデアを目利きする力の方になります。ピーター・ティールの「ゼロ・トゥ・ワン」にもありますが、本当に革新的なアイデアは当初ほとんどの人に反対されます。それは私の本でも書きましたが、「人は自分の目利き力を超えるアイデアの価値は正しく判断できないから」です。したがって、合意形成型の意思決定を重んじる日本企業においては、本当に革新的なアイデアは大多数の人の目利き力を超えているため、多数決で消えてしまう。特に、「新市場型」は既存の市場が存在しないため、市場分析というアプローチで論理的に社内を説得もできない。結果的に、破壊的イノベーションは起こせない、という結果になってしまう。
3.大企業が破壊的イノベーション を起こすために
では、大企業では破壊的イノベーションが起こせないのか、というと可能性が0ではありません。未来志向でビジョナリーな人物が意思決定に大きな影響力を持ち、多数決による弊害を排除できる仕組みが整っていることは、破壊的イノベーションという観点からは強みになり得ます。例えば、創業者がトップにおり、トップダウンの意思決定ができる会社です。創業者は未来志向で事業を作ってきた経験上、未来のニーズ(潜在ニーズ)を見つけることに長けていることが多く、創業者ではないプロ経営者は、事業の効率化の事業運営面に強みを持っていることが多い。ビジョナリーなトップダウン型の成功例としてはスティーブ・ジョブズが有名ですが、日本ではソフトバンクの孫さんや楽天の三木谷さん、ユニクロの柳井さんがそのタイプに当たります。一方、日本の大手企業のトップは多くが創業者ではなく、トップダウン型組織でもないため、破壊的イノベーションを起こしづらいという特徴があります。
ビジョナリーでもトップダウンでない組織で破壊的イノベーションを目指す場合は、社内で「こいつは凄い!」と思う人材を見つけ、その人物に任せて口出ししない、意思決定を合議制にしない、という仕組みを整えることが重要になります。ソニーの久夛良木さんのような例です。いずれにせよ、ビジョナリーで未来志向な優秀人材が自由に事業を作るのを、周りの(目利きのないと言う意味で)一般人が邪魔しない、というのがポイントです。
4. イノベーションを生み出す思考法
最後に、最近話題の「アート思考」と「デザイン思考」について触れさせてください。この2つの思考法は対比されることが多いですが、本源的欲求に着目するという意味では本質は変わらないと思います。前者は自分自身に共感して自分の作りたい世界観を生み出す思考に対して、後者は、他者に共感してその人の気持ちやニーズに気付いくようなイメージです。ですので、共感先が自分か、他人であるかという違いだけですね。本源的欲求を刺激してワクワクするものであれば、自分も他人もワクワクするはず。そう言った意味では、「アート思考」が全く新しいものというわけではありません。
「アート思考」の方が優れている所があるとすれば、自分起点なのでコミットメントが高くなりやすいという点です。事業を立ち上げる際には、多くの場合、当初のビジネスアイデアは周囲から厳しい評価を受けます。その際に、「いや、このサービスがあったらきっと世の中が良くなる。」と信じて事業を育てるためには、自分の中にやり遂げたいという熱量が必要で、それは自分起点である方が生み出されやすい。また、自身で事業を立ち上げる場合は仲間が必要で、仲間を集めるためにはビジョンを語り人々を共感させる力が必要。その観点からも、自分起点の方が自分の言葉で語りやすい。
上記のようなメリットが「アート思考」にはある一方、自分起点になりすぎると、独りよがりのアイデアになる危険性が高くなる。「デザイン思考」はユーザー起点であるため、独りよがりのアイデアになりづらい一方、自分自身の熱量が上がらない可能性もある。そう言った意味では、一長一短でどちらが優れているというわけでもありません。
結局、ヒットするサービスが生まれる瞬間というのは、自分起点とユーザー起点の交差点なのかなと。自分起点のアイデアであっても、ユーザーも感動するもの。ユーザー起点のアイデアであっても、自分も欲しいと心から思えるもの。どっち起点に関わらず、自分もユーザーも感動するサービスを作るのがゴールになります。そのようなサービスは、「本源的欲求」を深く刺激するものなので、最終的には「本源的欲求に着目するのが大切」という話に帰着するんです。組織・個、両軸で進化を繰り返すことで、近い未来日本中に多くの破壊的イノベーションが生まれるのではないかと思っています。
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