[liminal;marginal;eternal]はどんなライブになるのか 不穏なプロモーションとその先
はじめに
シーズとコメティックのライブ[liminal;marginal;eternal]の開催が近づいている。多くはないが事前情報もある程度公開されている。
『ネット怪談の民俗学』を読んだばかりの自分はタイトルやライブの告知映像から「リミナルスペース」を想像した。
ホラーがテーマにはならないとは思うが、「リミナルスペース」を始めとした最近のホラーと今回のライブの事前情報に共通点がない訳ではない。
この記事では主に『ネット怪談の民俗学』を参考にしながら、最近のホラーとライブの事前情報とを比較することで[liminal;marginal;eternal]がどういったライブになりそうかを考える。ただし、当然かもしれないが比較による優劣をつける意図はない。
[liminal;marginal;eternal]とは
283 Production LIVE Performance [liminal;marginal;eternal]はシャニマスのアイドルたちがパフォーマンスするライブだ。おそらく765プロの「はんげつであえたら」のような形式のライブになると思われる。
ライブの事前情報で気になったところ
今までに公開されているライブの情報は公式サイトやパンフレット、そして印象的な開催告知映像などで知ることができる。
その中で気になった点を挙げていく。
タイトル
そもそも[liminal;marginal;eternal]とはどんな意味なのか。
liminalは「境界の、境目の」といった意味の、marginalは「周縁の、余白の」といった意味の、etarnalは「永遠の、不変の」といった意味の形容詞のようだ。
開催告知映像
ライブの開催告知映像は当初何の動画か分からない状態で公開された。
告知映像では謎のモノトーンな空間を進んでいくループを約1時間映した後、画面にノイズ(演出)が走りはじめる。
その後、シナリオイベントでのアイドルたちの印象的な台詞が流れる。
そしてアイドルたちの台詞の間に以下の単語が挟まっていく。
「空白」「空虚 余白」。
「永遠」。
「完璧 完全」。
ライブの公式サイトにアクセスした際に出る注意書き
「注意。このウェブサイトは、意図せず無限ループを引き起こす可能性があります。アクセスを続行しますか?」といった言葉のようだ。ここでは無限と言う単語が出てくる。このライブに触れることは無限ループに触れることなのだろうか。
印象的なキャッチコピー
「完璧・永遠であることは美徳であり 彼女達は幾度も到達の機会を与えられる」というものだ。このフレーズは公式サイトでも見ることができる。
「完璧」も「永遠」も告知映像で出てきた単語だ。「永遠」はライブのタイトルとも共通する。
それらを良いものとし、今回のライブがそれを目指す機会となる、ということだろうか。
幾度も、というのは、ライブが4公演あることを表しているのだろうか。何度も何度も、それこそ無限ループのようにそれを目指す、といった想像もできる。
パンフレットの文字化け
文字化けとは、コトバンクによれば
である。
ライブの告知映像や公式サイト、Teaser Movie 等にはこの演出はおそらくないはずだが、ライブのパンフレットに登場する。
パンフレット後半の「開催にあたって」の部分だ。
文責・スタッフAとなっているこの部分は、283プロからファンたちへライブ開催にあたってのメッセージが書かれている(シャニpが書いているのだろうか)。
文章後半の「勿論これから伸びしろのある2ユニット」以降が「縺ァ縺吶喊�縺ァ縲�讃ェ辭溘↑轤ヶ縲∬�繧峨↑縺�せ繧ゅ≠繧九°繧ゅ@繧後∪縺帙s縲�」と一見して意味不明の文字や記号に「文字化け」し、その後「完璧・永遠であることは美徳であり 彼女達は幾度も到達の機会を与えられる」というフレーズが切れ目なく繰り返される。
事前情報からの連想
リミナルスペース
まずはliminalという単語、そして謎の告知映像からリミナルスペースを想像した。パンフレット内のクレジットにも「リミナルスペースワーク」という単語が出てくる。また、最近投稿されたTeaser Movieにも近いものを感じる。
リミナルスペースとは近年広まったネットホラー/ネット怪談の一種だ。
告知映像はこのリミナルスペースのに近い要素を持っているとと思う。無人であり、かといって廃墟ではない不穏な空間という部分は共通するはずだ。
無限に同じような空間が続くという部分は有名な『8番出口』に近いような気がする。『8番出口』も『ネット怪談の民俗学』でリミナルスペース関連の作品として紹介されている(そもそもリミナルスペースより先に海外で広まったバックルームが延々と同じような空間が続くという要素をもっていて、それも紹介されている)。
リミナルスペース的ではあるが、どこか違う
動画と画像の違いなどもあるが、ライブの事前情報とリミナルスペース、バックルームなどとの一番の違いは、個人的には懐かしさだと思う。
モノトーンで無機質、そしてどこか未来的な告知映像からは、個人的にはあまり懐かしさや古めかしさを感じない。
しかし、前述のTeaser Movieには「どこかで見たことがある」と感じる部分はあった。シナリオイベント「OO-ct. ──ノー・カラット」などで登場する「奈落」の演出だ。この台詞は告知映像でも登場している。
ただ、これも「ノスタルジアを感じるが、しかし過去の現実に符号しないという奇妙な感覚」とは違うだろう。
こういった部分の違いが今回のライブの事前情報を謎めいて少し不穏さも感じるが、ホラーという方向性ではない印象にしているのだろうか。おそらくそれだけではないと思う。
未来的、無機質な雰囲気のホラーや怪談も存在するはずなのでこの違いだけで断言できるものではないだろう(リミナルスペース系の作品にも無機質で未来的なものはあったはずだ)。
他の理由として考えられるのは、シーズやコメティック、シャニマスはホラーをメインテーマにはしていないという前提の元に映像を見ている、ということだ。シャニマスのメインストーリーやライブはホラー展開にはならないだろう、という印象が恐怖を薄れさせるのかもしれない。
とりあえず推測できることは、今回の事前映像のテーマの中に「ノスタルジアを伴う不気味さ」といったものはおそらく含まれていないだろうということだけだ。
そもそも今回のステージはアイドルがパフォーマンスする場である
少し話が横に逸れるが、仮にネットホラーテイストのステージがセッティングされたとして、そこでアイドルたちのパフォーマンスを見た場合、観客はどう思うのだろうかという疑問もある。
例外はあるにせよ、リミナルスペースやバックルームに関する作品を発表する側はおそらく見る側に怖がって欲しくて、あるいは不気味な感覚を共有したくて発表しているように思える。
だが、今回のライブでは送り手側は見る側を怖がらせる意図だけでライブをつくっているわけではないように思う。
リミナルスペース、境界空間というのはこちらの世界の観客とシャニマス世界のアイドルの境界となるステージを表している可能性もある。
不穏さを感じさせる演出は入って来るとは思うが、それ以外の要素にも注目してライブを見たいと思う。
ホラーと文字化け
文字化けは怪談やホラーでも使われる演出である。『ネット怪談の民俗学』の「第3章 異世界に行く方法」の中でも紹介されている。
また、『アクアリウムは踊らない』というホラーゲームにも文字化けが登場する。
ただ、ホラージャンル以外の作品でもこういった演出は見られるようで、ジャンルを「異能×学園RPG」としているゲーム『シカトリス』のプロモーションでも使われていた。不穏さを感じさせる演出なのだろうか。
物語のない恐怖
『ネット怪談の民俗学』の後半の章では、物語を構築できないネット怪談/ネットホラーについて書かれている。
物語を構築できない(出来事の説明がなされない、できない?)ことへの不安や不穏さが恐怖に繋がるのだと自分は解釈した(脚注によれば同じ著者の方の違う本でもこの話がされているようで、読んで理解を深めたい)。
この点において、物語のないネット怪談/ネットホラーと今回のライブの事前情報には違いがあるように思える。ライブの事前情報は、当然ながらライブの為のプロモーションなのである。
物語の無い不穏な恐怖と「不穏なプロモーション」の違い
リミナルスペースをはじめとする物語を見出しにくいネット怪談/ネットホラーと違って、「不穏なプロモーション」には多くの場合、その続き、答えとなるものが用意されている。
なぜ不穏だったのかがわかる物語、あるいは不穏な演出に隠されていた情報が与えられるのだ。
この不穏な出来事(プロモーション)にはいずれ説明がつく。それをファンたちも理解しているから、「不穏さ」は恐怖だけではなく今後の展開への期待にも繋がるのではないか(比較をしているだけで両者の優劣を決めている訳ではない)。
今回の場合、ライブこそがその答えに該当する。
なぜこんな告知映像を発表したのか。なぜこのタイトルなのか。そういった疑問の答えを知ること、自分なりの解釈をすることがライブへのモチベーションになる人もいるのではないか。おそらく自分もその一人だ。
おわりに
「どんなライブになるのか」に対する答えが「見ればわかる」では答えになっていない気がするが、ひとまずここまででまとめとしたい。
自分がこのライブの不穏なプロモーションをホラーなものだと感じない理由のひとつを見つけられた気がして、少しうれしい(そもそも今回のライブはシャニマスの作品展開の一つのなので、「不穏さ」の後に続く答えどころかその前に位置する物語すらあること、その物語がホラーではないことも多分に関係している気はするが)。
どんなライブになるのか考えること自体が楽しいのは、ライブで自分なりの答えを得られることがある程度保障されているからかもしれない、というのは新しい発見だった。
また色々勉強になった本『ネット怪談の民俗学』について書くことができたことも嬉しいことだ。
見切り発車で書き始めた文章だったが、ある程度のまとまりを自分なりに見つけられた気がしている。読み返して改善点も探していきたい。