ビジョン・ナレーティング
こんにちは、ビジョン・クラフティング研究所 所長の松本桂樹です。
ジャパンEAPシステムズでは、新人配属や配置転換などのタイミングで上司-部下間で仕事の意味を語り合ってもらうコミュニケーションを「ビジョン・ナレーティング(Vision Narrating)」と名づけ、メンタルヘルス不調の予防や人材育成、キャリア開発に効果を持たせられないか試行し続けてきました。ビジョン・ナレーティングは、自分自身の生きてきた道程、キャリアなどを語ることで、過去から現在までの繋がりや連続性・一貫性、そしてその意味を認識し、その上で延長線上に未来へのビジョンを見出して行こうとするアプローチです。
■ 自分を語る
ナレーティングは英語のNarrateの現在進行形で、日本語に訳すと「物語る」という動詞になります。内的なイメージだけで済ますのでなく、自分なりに言語化して終わりでなく、上司や同僚にも理解できるよう自分自身を物語ってみることが、このアプローチの重要なところです。上司にも分かるように自分を語る、この語りの成功は、社会的にも認知され得る「同一性」の獲得につながると考えられます。
変化を体験した上で自らを語れたということは、変化を取り込んだ自分の物語が生成できたということです。特に、上司に理解される「語り」を成立させることは、過去から現在に至るまでの連続性、一貫性を独りよがりでなく、社会的観点で確認することにつながります。そのプロセスは、自らの人生について再度意味づけを行うことや、オルタナティブな物語を紡ぎ出すことになると考えられます。
■ ナラティブ・アプロ―チ
現在、働く人を取り巻く環境が流動的で不確実なものへと急激に変化しています。長引く感染症対策も、人間関係の分断を進めてしまいました。現代人が自分を見失わずに、変化の多い人生を乗り切るためには、自ら人生のストーリーを主体的に創造しなくてはなりません。この主体的な語りを成立させる手助けが、今後のメンタルヘルス対策、ひいては人材育成のあり方としても重要だと感じています。
これまでメンタルヘルス対策において主流とされてきた方法との違いは、下の図の通りです。メンタルヘルスの問題は、慢性化した過重労働によって疲労困憊してしまった社員よりも、環境変化に適応できない社員に発生することが増えており、環境変化が発生した社員には、ナラティブ・アプローチを重点に置いた対応が重要と考えます。しかし、語ってもらうための「場の設け方」が大きな課題です。上司から「君を理解したいから、自分を語ってくれないか」と言われても、部下は気が引けてしまうでしょう。
■ 仕事の意味を問いかける
不調のサイン発見時に、部下とのコミュニケーションの場を設けてコミュニケーション場面を設定することは、難易度が高いと思われます。いかに部下に抵抗を持たれずにコミュニケーションが持てるかがポイントです。自然な流れで自分を語ってもらうには、異動など大きな環境変化が発生した社員は全員、上司が「仕事の意味」を部下に訊ねるミーティングを持つことを定期的に実施するのが望ましいと考えています。セルフキャリアドックの仕組みも、適応を支援する仕組みとしても最適と考えます。「仕事の意味」を問う問いかけは、自然とプライベートのことも含めて部下自身の語りを引き出すことになるでしょう。
部下の語りを引き出すためには、上司自身の「仕事の意味」の語りも伝えることができると、部下に「なるほど、そう語ればいいのか」と語りのテンプレートが与えられ、部下は語りやすくなるものと考えられます。アルコール依存症の自助グループAAと同様、先行く仲間の語りを聴くことで、自らの語りも展開しやすくなります。部下の語りが進み、それによって上司による部下理解が進めば、「この部下は、嫌なことはやりたがらない自己中心的なタイプだ」と言った安易なタイプ論で人を理解した気になる事態も減るものと考えています。
■ 所長プロフィール
松本 桂樹(まつもと けいき)
株式会社ジャパンEAPシステムズ 取締役
神奈川大学人間科学部 特任教授
都内の精神科クリニックにて常勤心理職として勤務した後、日本初のEAP専門会社である株式会社ジャパンEAPシステムズにて相談サービスの立ち上げを担う。現在もEAPコンサルタントとして、勤労者の相談を数多く受けている。
著書に「メンタルヘルス不全の企業リスク」(日労研)、「部下が病気にならないできる上司の技術」(WAVE出版)、共著書に「実践家のためのナラティブ 社会構成主義キャリア・カウンセリング」(福村出版)など。