”GIFT by GIFT”で生きるということ
Sign
GIFTという言葉を意識的に使いはじめたのは2019年の秋ごろ。その頃様々な出会いが折り重なり、その中でGIFTという言葉を何度も耳にするようになった。
そんな風に、人生の中にはどうも、ある時期にある特定の何かをやたらに目にしたり耳にしたりすることがあるように思う。
偶然にしてはあまりにも続きすぎている氣がして、それはまるでSignのように、何かを自分に問いかけているかのような、そんな感覚。
取り立ててそこに意味などないのかもしれないけれど、でもそんな風に一蹴出来ないくらい自分の中で響いた時、それは自分のこれからの人生を彩る鍵になる。
GIFTという言葉の意味
GIFTという言葉には、2つの意味がある。
1つは「贈り物」という意味。そしてもう1つは「天賦の才(天から与えられた才能)」という意味。
1つの言葉が、「与えられたもの」と「与えるもの」という意味を同時に持っているというのはとても面白い。
「与えられたもの」と「与えるもの」が同義であるってつまりどういうことなんだろうか・・・?
私なりの天職の解釈(2021年1月現在)
天職とは、まさにそれをするために自分は生まれてきたのだという仕事を指す言葉で使われる。
私なりの天職の定義は、「人生の前半で葛藤したことをテーマに、自分が苦も無く出来ることでそれを探究していく」というもの。この先変わるかもしれないけれど、少なくとも今はそう思っている。
これは、天職をやっていると今感じられている自分が、そうではない状態からシフトしていったそのプロセスを紐解いて生まれた定義。
葛藤の中にあったもの
私の仕事人生の前半は、周りの期待に応えることが至上命題であり、それが自己価値の唯一の証明のような感覚で、いかに自分が優れているのかを示さなければ存在価値など無いとさえ思うようになっていた。。。
それが臨界点を超えた時、この人生を変えたいと本当に心から願った。しかしそう簡単には自分の思考や行動のパターンを変えることは出来なかった。
それでも何かを変えなければ、一生この感じが続いていく・・・。それだけは絶対に嫌だという思いから、「本当は自分はこの人生で何をしたいのか?」を真剣に問うた。それは今から11~2年前くらいのこと。
今までもそういうことを問わなかったわけではないけれど、でも本氣で変えようという感覚にまではなりきっていなかったのだと思う。
でもこの時は本氣だった。
とはいえ、やっぱり考えても考えても中々出てこない。自分は何が好きなのか?自分は何が得意なのか?だんだん見えてはきたものの、「自分の時間と労力をどれだけ使っても惜しくない」と思えるくらい意味のあるものがほしいと思っていたので、何かまだモヤっとしたものはぬぐい切れない。
それが見つかったと感じたのは、自分の葛藤に目を向けた時だった。
義務感にも近いような与えられたタスクをクリアすることに心血を注いでいる毎日にそれほどまでに葛藤していたのは、やっていること≒仕事に対して、「自分の内から湧き上がることを誰に縛られることなくやり、それが結果的に誰かの喜びにつながっていると感じられた時に湧き上がる幸せな感覚」こそ自分が本当に得たいものだったからなんだということに氣づいた。
それは言うなれば”つながりの実感”とも言えるもの。
自分だけではなく、多くの人が求めながらも、十分得られていなくて、且つ得ることが難しいと感じている”つながりの実感”をどうしたらもっと感じることができるんだろうか?
これだけそこに葛藤した自分だからこそ、そこに強く意味を感じ、そしてこれこそが自分の人生で探求するテーマなんだって思った。
※ちなみに、私自身の転機はこちらのnoteに↓↓
GIFT by GIFT
GIFT by GIFTとは、「GIFTによってGIFTする」つまり、”与えられたものによって与える”という意味で使っている。
”与えられたものによって与える”とはどういうことか?
ここからは、完全に私なりの世界観であり解釈ですが。。。
人は、自分の命にこの肉体を与えられて、この世に生を受けて人生がはじまっていきます。そして自分にしかない体験をしていく。
一人として同じではないその体験と、その体験に紐づく体感は、全て自分が味わうべくして味わうものとして、用意されているものなんじゃないだろうか。
私が好きなマンガ「バガボンド」の中で、沢庵和尚が「わしの、お前の生きる道は、これまでもこれから先も、天によって完璧に決まっていて、それが故に完全に自由だ」という言葉がある。
全ては与えられるべくして与えられたもの。そしてその中からそこにある意味を自分なりに見出し、自分の中にある極めて自然に出てくるような”才”を使って、誰かに何かを贈るように与えていく。
そこに生まれる喜び、そこに生まれる感動、そこで得られる味わい。自分とつながり、それらを深く感じながら生きることこそ、命が望んでいることなんじゃないだろうか。
GIFT by GIFTの探求
とまあ、小難しく書いてはみたけれど(笑)、人は自分の持っているものを存分に活かして、誰かを喜ばせたり何かを良くしたりできたら、幸せなんだと思う。
そして、人生の中で出来るだけ多く、その実感を感じられることこそが幸せであり、豊かさ。
人生の時間を使う優先順位は、まさにそれが何かを探究して、見つけたものをやること以上のものはないんだって私は思っている。
GIFTbyGIFTを探究すること。それは、、、
人より少し得意で人より少し樂にできる自分の”才”を知ること。
自分のこれまでの葛藤の中に潜む自分にとって大事なことを見出すこと。
自分の中にある真に望むものを感じること。
その声を聴き自分とつながること。
その感じたことを何らかの形で表現してみること。
表現していくとは、少しずつ見える形にすること。(身体・絵・言葉・音etc.)
表現を誰かと分かち合うことで、より見える形にすること。
見えたことを基にやることを決めてやってみること。
やってみたことから、また自分の中にある真に望むものを感じること。
私がこれからやっていきたいことは、そんな探求の場をたくさんつくっていくこと。
いろいろ実験という遊びをしてみようと思う。ぜひぜひみなさん一緒に遊んでください。そしてGIFTbyGIFTを生きましょう!
ちなみに、わたしのGIFTbyGIFTは
”一人でも多くの人がVisionaryWorkを生きる世界をつくる” by 鵜川洋明
それは、葛藤の中から見つけた人生のテーマ。自分が好きで得意なことを活かしながら楽しみながらこれからも探求し続けていく私のGIFTbyGIFT