ショートストーリー4

とにかく部屋を出たかった
彼女の思い出と生活するのは辛い
逃げ出したかった
古いほうがいい物件がある
そんな都市伝説のような噂を言い訳に
町の片隅にある小さな不動産屋を選んだ
古びた店には人に興味のない経営者がいる
そんな勝手なイメージもあったが、そんなものはあくまでイメージでしかなく
物件が所狭しと貼られたドアを開いた先には
同世代に見える利発そうな女性がこちらを向いて微笑んでいた
「どうぞおかけください」
立ち上がった女性を僕は凝視する
彼女もまた、僕が逃げ出した思い出のひとりだった

僕は負けるのが嫌いだ
だから負ける前に諦めてしまう
全力ではなかったから
本気を出してはいないから
自分に言い聞かせて負けることから逃げてきた
その結果が何もかも中途半端にしかできない
何かを極めたり、突き詰めたりすることのない
面白味のない僕という人間だ

あの勝てないという感情はどこから生まれたのか
言葉を交わしたわけでもない
争ったわけでもない
そもそも人間関係に勝ち負けなんて存在しない
それなのに「勝てない」という言葉が頭を支配した
彼の存在は知っていた
彼女と仲のいい友人
それだけの存在
それなのに、それだけでは片付かない
説明できない感情が、僕には付き纏っていた
彼女がその名前を出すたび
その面影を感じる度
どうしようもなく不安になり
恐怖を感じる
彼女の先に、ぼんやりとその人物を超えることのない自分が見えた
だから、逃げた

「ご希望の条件をお書き下さい」
差し出されたアンケート用紙に記入する
緊張で名前を書く手が震えた
顔を上げる事ができない
普通に振舞おうとすればするほど
意識は彼女へ向かっていく
「コンロ」
すべての項目を書き終え、ペンを置くのを見届けた彼女はそう呟いた
「コンロ、書いておかないと一口の物件案内されますよ」

彼女とはうまくいっていたと思う
趣味も、生活スタイルも、価値観も
どれだけいてもストレスがなかった
ずっと居られたら、そんなことも考えていた
だからこそ、彼女の中で一番でいなければいけない
誰よりも彼女を知っていなければいけないという思いがあった
違う、そんな純粋な気持ちではない
怖かったのだ
誰かに奪われるのが怖かった
自分が二番目の存在になることに耐えられなかった
人間関係に順位なんてない
分かっていてもそれを受け入れられなかった
あの頃も、今も

「あの時、好きな人なんていなかったんだ」
「そう」
素っ気なく答える彼女に問いかける
「ねえ、僕のこと1番に好きだった?」
聞きたくて、聞けなかった
あまりにも幼い言葉
「なんでそんな当たり前のことを今聞くの」
呆れたような彼女の声に安堵する
なんて自分勝手な感情なんだろう
嘘をついて傷つけた相手に言わせる言葉じゃない
押し黙る僕に顔を寄せると彼女は呟く
「自分が思ってるよりいい男だって、そろそろ気付いたら?」
帰りを促すように席を立ち、彼女は出口へと歩を進める
「条件がお決まりになったらまたいらしてください」
あっさりと僕を追い出した彼女の手には指輪が光っていた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?