見出し画像

10年後のごめんなさい(前編)

手持ち無沙汰になるとフォロイーの過去ツイを検索するという趣味の悪い手癖がある。今夜も早い時間から飲酒する片手間、とある言葉を検索バーに入れてみたら学生時代の女の子同士の恋愛についての思い出が綴られているツリーが出てきた。人の過去を覗き見ることに若干の罪悪感を抱きつつ、読み進めていると名前も知らないフォロイーの記憶に重なるように自分の昔の思い出が蘇ってきた。酔った勢いで禊も兼ねて書いていく。


あれは中学生の頃だった。
2年の3学期という微妙な時期に大阪から転校してきた彼女は、挨拶するなり

「私は不良です」

と宣言した。その言葉通り素行の悪さで転校早々に夜の繁華街で補導されたという話を聞いて、他クラスだった私は級友たちと同じように眉を顰めていたと思う。朝から夕方まで「ご機嫌よう」と挨拶を交わし、食前には十字架に向かって手を合わせる女の園で、不貞腐れて足を組む彼女の存在は明らかに異質だった。前の学校で不登校だったという彼女は、不健康なほど白い肌と真っ直ぐで艶やかな黒のショートヘアで、授業に遅刻する度に人っ子一人いない廊下を機嫌悪そうに歩いてくる姿が目を引いた。

3年になって同じクラスになった時も「関わると危ない人」という印象は変わらなかった。当時の私は自分で言うのもなんだが勉強以外に一分一秒も割きたくない“優等生”だったので、持ち前のコミュニケーション能力で派手なグループに溶け込み、休み時間のたびに教室中に響く笑い声を上げる彼女には正直うんざりしていた。学校と塾と家の往復が生活の全てだった私にとってそれ以外の場所に足を踏み入れることは親の激しい叱責を意味したし、うっかり補導でもされたら閉鎖的な女子校で築いてきた“優等生”ブランドが水の泡だ。その一方で同じクラスになったことで「実は年上の彼女がいるらしい」とか「未成年なのに夜な夜な繁華街の飲み屋を渡り歩いているらしい」とか、入ってくる情報のレベルは上がった。しょうもない、と友達の前で馬鹿にしながらも、昼間は窮屈そうに指定の黒い制服を着崩す彼女がどんな顔で夜の街を闊歩するのか想像してみたりもした。仄かに好奇心を抱きつつも、授業中友達と教科書に落書きし合ってクスクス笑う彼女に注意できるほどの勇気もないまま1学期が終わった。

2学期になった。私の通っていた学校は中高一貫だったので、文化祭と修学旅行が10月、11月と立て続けに行われるのが常だった。テスト勉強と文化祭での展示の準備、修学旅行の事前学習などで慌ただしい日々が続き、学年行事ということもあって固定の友達以外と接する機会も増えた。どういうタイミングだったか思い出せないが、そこで初めて彼女と一対一で話した記憶がある。特に印象に残っていないということは大した会話はしていないのだろう。ただひとつ覚えているのは、彼女は今まで嗅いだことがない香水を纏っていた、ただそれだけだ。10代の少女がつけるには背伸びした、妖艶な薔薇の香り。この匂いを振り撒きながら夜へと繰り出すんだろうか…。怖いもの見たさも手伝って、その頃から彼女を強く意識するようになった。相変わらず彼女は遅刻ばかりしていたし、その頃親と喧嘩して家出したという噂話も聞いていたが、そういった無頼なエピソードのひとつひとつにどこかときめきを隠しきれない自分がいた。同時に、授業中や移動教室、折々で彼女の視線を感じることが増えた。目が合うと恥ずかしくなって俯き、それでも彼女は恋人がいるから、と逡巡しながらノートのページを捲るフリをした日々を今でも覚えている。

事態が動いたのは修学旅行先の沖縄だった。首里城やひめゆりの塔を巡り、夕方になる頃ホテルのプライベートビーチで遊ぶひとときが設けられていた。私は疲れとままならない気持ちを持て余して(彼女とは別の班で全然姿を拝めなかったのだ)、はしゃいで砂に韓国語を刻む友達には混じらず、海岸でひとり読書をしていた。
ふと目を上げると、それまで友達と波打ち際でふざけていた彼女が「カメラしまってくる〜!」とこちらに戻ってくるのが見える。唐突に「今しかない」と脳内で声が聞こえた気がして、気づいたら彼女の名前を呼んでいた。「なにー?」と砂を散らしながら小走りでやって来る彼女と、目が合わせられない。もう引き返せない、賽は投げられた。緊張で震えながら「話したいことがある」と告げ、人気のない所まで歩いた。私の一言でこの関係が崩れるなら、いっそこのままずっと夕暮れ時の波打ち際で2人静かに海の音を聴いていたい。それができたらどんなに幸せだろうと考え、涙が出そうだった。しばらく黙ってから

「○○さんのことが、好きです」

精一杯の一言に、彼女は驚いた顔だった。どうしよう、引かれたかも。慌てて私は「彼女がいるって知ってる、ごめんなさい、でも」と言葉を並べようとしたその時、ふわりと抱き寄せられた。それがあまりにも自然な抱擁だったので、一瞬何が起こったのかわからず硬直した。

「ありがとう。すごく嬉しい」

波の音がうるさすぎるほど耳に木霊していた。読書していた時まだ空にあった陽は沈みかかっていた。彼女はイエスともノーとも言わなかったが、優しい声でそれだけ言った。それまで片思いしたことはあれど面と向かって気持ちを伝えたことがなかった私は、それだけでいっぱいいっぱいだった。薔薇の香水の代わりに、潮の香りに混じった柔軟剤の匂いが鼻腔をくすぐった。



いいなと思ったら応援しよう!