家事に疲れ、仕事に疲れたら寝る
ここ数日、ちょっと息つく間もなかった。
仕事が立て込んでいたというのはあるのだが、それ以上に家族の体調不良が長引いたことが大きい。
世の多くのお母さんが、子供の体調不良に振り回される状況はまさにこれなのだと心の奥深くのところで理解した。
1週間寝込む家族に、消化のよいご飯を。
変わらず元気な家族には、ボリューミーな弁当を。
1日でどっさりたまる洗濯物は、洗濯機へ。
すぐにうっすら積もる埃は、ダイソンへ。
浴槽は毎晩洗わないと次の日不快だし。
そしてもちろん、あらかじめ入っていた仕事はすべて確実に。
今月に入ってほぼ在宅の仕事だったのに、外に出る仕事が増えてきたタイミングで家族が体調を崩すという巡り合わせの悪さ。
昨日は往復6時間かけ、講師として奈良の大学の就活セミナーへ。
仕事はとても充実していたが、今移動に6時間かけるゆとりはない。
近鉄電車の中で、地域活性化のウェビナーを視聴しながら家路を急ぐ。
スマホの小さな画面の中で、東大を出てマッキンゼーを経て、今はどこぞの地方で手広くやっている人が喋っていた。
「〇〇をこうして、それがこうなって、△△と融合させることでこうなって、結果として僕はこうしたいし、来年こうなったらいいなと考え中」
さすが頭脳明晰、論理的な発言は大変分かりやすく、危うく頷きかけた。
ふと我に返る。
——あなた、世の中を複雑にするのが趣味?
筋道の通った主張を聞けば聞くほど、世の中を混沌の渦に陥れようとしている悪魔の囁きにしか聞こえなくなっていく。
地方を世界経済につなぐなどというくだりには、未開の地を食い荒らし、切り売りすることで富を得てきた資本主義の傲慢さしか感じない。
あぁこれはまさに地方の植民地化だ。
僕のメインテーマのひとつでもある地域活性化だから、流暢な発言をイヤホンから耳に流し込みながら、頭には言いたいことがあふれかえる。
そのうちひとつ選ぶとしたら、「もっとシンプルな世界を目指さないの?」
そして自問する。
——自分はこのおっさんたちの片棒を担いでいないか?
僕が提供する仕事、サービスは世の中をシンプルにし、見通しよくする方向に作用するのだろうか。
それとも、理論をこねくり回し、さも世直しをした気分になっている自己満足系複雑化おっさんと同類なのか。
少なくとも僕は複雑なシステムを生き抜くスキルを持ち合わせていないし、そんな生き方や世の中をかっこいいとも思わない。
人類の叡智が複雑化を好むなら、僕はそれに抗って、怠惰なハートでゆったりと生きられる世を生きたい。
といって、世捨て人になりたいと言っているわけではない。
そっちの世にしていきませんか、とみなに呼びかけたい気分なのだ。
だから、腹が減ったら食事を作るし、埃がたまればダイソンを操るし、それでいい。
それ以上でもなければそれ以下でもない。
そこにわざわざ意味を見出さなくてもいいと思っているのだ。
家事に疲れ、仕事に疲れたら寝る。
ただそれだけだ。
(2024/11/21記)