ありがとう、附属中学校
40年も前に通った中学校に足を運んだ。
最近は卒業生でも学校の敷地なんて自由に入れないのに?
いや、昨日だけは特別だったのだ。
僕が通った中学校は、神戸大学教育学部附属明石中学校だ。
僕が卒業してから、発達科学部附属となり、神戸大学附属中等教育学校明石校舎となって、2015年閉校となった。
閉校となったというのは語弊がある。
神戸にある姉妹校の附属住吉中学校と統合され、明石は幼・小までを担当することとなって中学校校舎が使われなくなったのだ。
そしてついに、この校舎が取り壊されることとなったようだ。
「最後の校舎見学会」の案内が兄の許に届き、僕に連絡が入った。
(ちなみに兄とは幼稚園以外、小中高大とすべて同じ学校に通った)
ちょうど予定が空いていた僕は、明石へと向かった。
あいにくの雨だったが、最後の見学会には雨こそがふさわしいと思った。
🔷ホームルーム
🔶1年次・英語教室
担任が英語教諭だったため、英語教室がホームルームだった。
僕はこの教室のいちばん前、左から2列目の席で中学生活をスタートした。
🔶2年次・普通教室③
担任が理科教諭だったため、さすがに水道設備などの備わった理科教室はホームルームに使えず、普通教室があてがわれた。
🔶3年次・数学教室
最終学年の担任は数学教諭で、ホームルームは数学教室だ。
担任の最後の授業で、僕が提案し運動会を開いたのはこの教室だ。
教室内運動会の記事はこちら👇
🔷思い出の場所
🔶理科教室・告白の壁
教師から殴られ血を吐いたのも、秘かに他のクラスのおめあての女子とひきだし文通をしたのもこの教室。
殴られたのは手前に立っている白いポールの少し向こう側、ひきだし文通をしたのは右端に写る青いヒーターの手前あたりだ。
ひきだし文通の子を映画に誘ったのがこの壁の前。
その結果は…
殴られた記事はこちら👇
ひきだし文通、そして告白の記事はこちら👇
あぁ、ここか…ここよな…と告白の壁の前で感慨に浸っていたら、不意に呼び止められた。
「〇〇〇?」と僕の下の名で女子が呼ぶ。
当時、下の名で呼ばれたことなんて一度もないのに…
僕のホームページを見て今の顔を知っていたので分かったのだという。
ありがたや。
🔶美術教室
クレイアニメの映画を自主制作したのはこの教室だ。
大好きなものづくりに没頭する、いい時間だった。
クレイアニメの記事はこちら👇
🔶音楽教室
ヘヴィメタのバンドをやっていた僕はこの教室を借りて練習をした。
ピアノをやっていた僕のパートはもちろんキーボードだ。
バンドの記事はこちら👇
🔶ロッカー・トイレ
僕は中2の頃だったか、陰湿ないじめを受けていた。
部活を終えてロッカーに帰ってきたら、ボコボコにされて解錠され、中のものがあたりに散乱していた。
そのロッカーがあったのがここだ。
制服のズボンはロッカーの背後にあったトイレの便器に突っ込まれていた。
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いつこの校舎は取り壊されるのだろう。
僕の人生の中でもっとも濃密な思い出が詰まった3年間を過ごした場所。
とても淋しいけれど、でも昨日くまなく見て回ってカメラに収め、ひとつの踏ん切りがついた。
附中よ、永遠なれ。
🔷附属小学校
同じ敷地にある小学校にも潜入した。
こちらの校舎はまだ現役だから、こっそり。
48年前、僕はこの1年1組の教室で小学校生活をスタートした。
手前の窓際、前から2番目の机だったことを覚えている。
このマンホールのあたりで小2の僕はファーストキスを奪われた。
あれは今でもレイプといっていいと思っている。
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🔷附属幼稚園
これも同じ敷地にある幼稚園。
現役で使われているので、中学校と違ってきれいに整えられている。
僕は幼稚園から中学校までの12年間をこの同じ敷地の中で育った。
僕の中で、立派なライオン像は三越ではなく幼稚園の象徴だ。
🔷思い出の味
母が亡くなり、父が亡くなり、そして学び舎をなくす。
小4まで暮らしたボロアパートも、再開発で昨年なくなった。
明石との接点が急に消えたかのような淋しさに襲われる。
中学校に別れを告げたあと、足は自然に〈くるみや〉に向いた。
明石の人なら誰でも知っているであろう、老舗の洋菓子店。
母が好きだったスフレチーズを家族の数だけ買って家路についた。
あぁ、この味。
明石で過ごした時間が走馬灯のように駆けめぐる。
ありがとう、明石。
ありがとう、附属中学校。
(2024/11/17記)