竹を吹く人々
みなさん、お元気ですか?
倍音音楽家の青山雅明です。地無し尺八を演奏したりでヨガや瞑想も教えています。
さあ、尺八のルーツをめぐる旅に今日も出かけましょう!
尺八に興味がなくても竹はとても身近ですよね。タケノコも美味しいし、凛とそびえる竹薮の美しさは日本の原風景のひとつと言えるでしょう。
今日はですね。泉武夫先生の「竹を吹く人々〜描かれた尺八奏者の歴史と系譜」から学んで行きたいと思います。
日本ではシブすぎるがゆえに消えかかっている尺八古典本曲ですが、海外では虚無僧尺八系の古典音楽の愛好家が増えているそうです。
僕も海外の地無し尺八演奏家の方々と、お話してみるとその知識の深さに驚きます!そのパッション熱量すごいです。中には自分のことを「拙者は」という人もいます!
明治以降に日本は近代化して、西洋に追いつけと捨ててしまった日本の古層にあるものを見直す時期が来たのかもしれません。
さて、明治以前の虚無僧とはどんな人々だったのでしょうか?
江戸時代の虚無僧は禅宗の一派、普化宗という名のもとに、宗教としての尺八を標榜しながら、托鉢をしながら尺八を吹き旅をしながら生活していたようです。
その多くが、仕官の機会を失った武士たちつまり浪人たち。先日も書きましたが元「サムライ」なわけです。
そして常に死を意識していたサムライ独自の気合や間合いの取り方の感覚が、その音楽に色濃く反映しているといわれています。
おお!何だかかっこいい。
余談ですがエレファントカシマシの「昔のサムライ」という曲が僕は大好きです。ちょっと脱線しますが、サムライ感満載の名曲なのでリンク貼っておきますね。ぜひ聞いて見てください。
はぁー。やっぱり宮本いいなー。
やがて、虚無僧の制度は明治維新で断たれます。そして、宗教性を配した世俗の音楽として尺八は生き延びることとなりました。
海外の方はこの精神性や宗教性を大切に尺八を演奏されている様子です。まるで日本人が浮世絵を茶碗の包み紙にして、西洋でその価値を再認識されたのと似ていますね。
もちろん日本でも虚無僧尺八演奏家の方々はその精神性を大切に継承されています。
というわけで僕も、「地無し尺八演奏家」として世界で活躍する予定ですので基本的な知識ぐらいは持っておきたいと思い、勉強中なわけです。
普化宗尺八は鎌倉時代に始まったそうですが、資料のほとんどが江戸時代に描かれたものが多くしかも、真偽が入り混じっているため信憑性にちとかけるものが多いようです。
そこで、この泉武夫先生の著書「竹を吹く人々〜描かれた尺八奏者の歴史と系譜」です!
日本絵画史を専門にしている泉先生の研究により、絵画に表された尺八吹きの絵姿を元にしているためより時代のブレが少なく、宗教音楽としての尺八だけでなく遊興音楽としての尺八などから歴史を解き明かされています。
僕も浮世絵に登場する、虚無僧や尺八吹きの絵を実際に見ましたが、婆娑羅な格好のチャラ男っぽい男子が虚無僧コスプレみたいのをしていたり。
江戸の生き生きとした巷間の芸能や風俗史も感じられて楽しいですね!
それにしてもこの虚無僧はチャラい!