尺八は、どこに消えた?
さあ、みなさん。お元気ですか?
倍音音楽家&法竹演奏家の青山雅明です。ヨガや瞑想も教えています。
虚無僧や尺八のルーツを探るべく、日々勉強中でございます。本日は尺八はどこへ消えたのか?というテーマでお届けします。
昨日までの記事を読んでいただけたら、源氏物語にも登場しポップにワイワイと尺八や雅楽が盛り上がっている様子がうかがえると思います。
源氏物語が執筆されていた1000年前後は、宮中でも一般的な楽器として尺八が吹かれていたようですが、この雅楽が盛り上がっていた1000年前後をピークに徐々に、歴史から尺八が消えていってしまうのです!なんと!!
平安時代から、室町時代にかけては、尺八の歴史が抜け落ちてしまっています。貴族文化が徐々に衰退して庶民文化のパワーが湧き上がってきたということらしいです。
「雅楽もさー!そろそろ日本風にやっちゃおーよ!」と中国からの音階を変えて五音階をフューチャーしたり、新しく日本風に楽器を改造したりと、面白い面もあった一方、それまでの雅楽の楽人がリストラされたりしました。
徐々に貴族の文化であった雅楽も、庶民の芸能として広まってゆきました。雅楽のなかでも「散楽」(さんがく)や「伎楽」(ぎがく)と呼ばれる、曲芸っぽいものや滑稽でエンタメ要素の強い劇が大人気に!
それをもとに「猿楽」や「田楽」が生まれたといいます。その時の伴奏楽器やお囃子として、古代尺八や一節切が使われていた可能性があるそうです。
(でも資料がないからホントのところはわかりません、ゴメン。)
資料がないってことは、盛り上がっていたのは庶民の文化だったからで、識字率の低い庶民は記録を残さないし、貴族も庶民のことなんか知らんよ。ということでこの時期の「さくはち笛」はどうなっていたのか謎に包まれているのです。
この時期は、日本芸能全体のミッシングリンクらしいですよ
このミステリアスなところもまたいいですね。
それで猿楽や田楽ってどんな感じ?こんな感じなのかな。
多賀大社万燈祭2015 「近江猿楽多賀座」を貼っておきます。
はい、本日も葛山幻海先生の著書「まるごと尺八の本」から学ばせていただきました。幻海先生ありがとうございます!
幻海先生の修理工房のホームページがあったので、載せておきます。尺八の修理は是非、幻海先生のところで。