古代の尺八と水時計
みなさんお元気ですか?地無し尺八演奏家でヨガや瞑想も教えている青山です。
節分で豆まきも終わり、立春も終わり、季節はめぐりますね。ちょっと春を意識し始めた今日この頃です。
さて、引き続き虚無僧と尺八の歴史を学んでゆきたいと思います。
今日は葛山幻海先生著「まるごと尺八の本」から勉強させていただきます。
現在の尺八の原型の古代尺八は雅楽で使われていて、前に五つ穴後ろに一つ穴があいています。(現在の尺八は前に四つ後ろに一つ)
この前に五つ穴後ろに一つ穴があいている尺八は、古代中国の唐という国で生まれました。
正倉院の尺八。古代尺八はこんな感じのやつなのかな?飾りが綺麗。↑
この古代尺八は誰が作ったのか?というお話です。
その時代の中国の歴史資料として後晋の時代(936年〜946年)の歴史書「旧唐書」(くとうしょ)という書物があり、その中の「呂才伝」という「呂才」(りょさい)という人物を紹介するコーナーに尺八の記述があるそうです。
そもそも初期の唐の時代とは618年から始まって、途中ごちゃごちゃして907年ごろまで続いているようです。(かなり大雑把ですみません、脳みそがパニックを起こすので許してください。)
そして600年代に活躍した「呂才」(りょさい)という人物がそれまであった尺八を12律に調整し直したと記されているそうです。(何年生まれかは不明ですが665年に亡くなっているようです。)
この「呂才」(りょさい)さん、どんな人物だったかというと、まあ一言で言うとダビンチのような天才でした。←僕の勝手な印象です。
まず当時最先端の科学、陰陽術や占星術にも詳しく音曲に造詣が深く水時計も作ったと言われています(水時計きになるー)
この「呂才」(りょさい)さんが活躍していたのは日本に尺八が伝来されたとされる飛鳥・奈良時代なので記録としてはマッチしていそうです。
まとめとしては、この「呂才」(りょさい)さんが雅楽の楽器として12律に調律した6つ穴の空いている古代尺八がまず、飛鳥・奈良時代に伝わった。
というお話でした。
ゆっくりじっくり読んでみると、いろんなことがわかりました。お付き合いいただきありがとうございます!LOVE!
水時計が気になりすぎたので調べてみました。明日香村のYouTubeに解説がありました。
飛鳥水落遺跡 (国指定史跡)