
いま第九を聴くこと
これまでにヨーロッパや日本で足を運んだ数え切れない数の演奏会の中でも、私が10歳になるかならないかぐらいの時に母と上野の文化会館で聴いたベートーヴェンの第九の演奏会ほど心を揺さぶられた体験は数えるほどだ。
それはただの音楽会などではなかった。
それは、はからずも人生における最初の「自分自身を発見するための」洗礼であり、自分の揺るぎない理想みたいなものがふんわりとそこで生まれてしまったからだ。
私はコンサートが終わり母と手を繋いで会場をあとにする時に味わった、あの胸を押し潰すような苦痛を今でも鮮明に思い出すことができる。
それは、会場を出ればそこには元の世界が待っていることに対する苦痛に他ならなかった。
子供ながらに、初めてコンサート会場で味わったあの不思議な熱狂にしがみついていたのだろう。
会場から出た大勢の人々が駅へと向かう中、私も母に手を引かれて冷たい夜空の下を歩きながら、まだ暗闇に目が慣れない人のような気持ちでコンサートの余韻に浸っていた。
今体験したばかりの世界はあれほど素晴らしいのに、私達はなぜずっとそこに居続けることができないのだろうかと思いながら、わたしは思わず母の手をぎゅっと握り締めた。
第九交響曲は、1時間を超す長大な交響曲としてそれまでの交響曲の常識を覆した。その第四楽章の中のほんの一部であるところの「歓喜の歌」がいわゆる「ダイク」のメロディーとして世界的に有名になったわけだが、このメロディーが高らかに演奏されるのは、始めから聴き始めて50分近い時間が経つ頃である。
もしベートーヴェンが単一のメロディーだけを書いたならなんということはない。メロディーだけを取ればシンプル極まりなく、下手をすれば中学生でも思いつく可能性があるからだ。
でもこのメロディーをこの上なく崇高なものにしているのは、言うまでもなく作品のなかで綿密に考え抜かれたオーケストレーションである。
ベートーヴェンはこの作品の中にその技法を駆使して途方もなくスケールの大きい物語を封印したのだが、オーケストラが高らかに演奏する歓喜の歌に至るまでの過程で何が起きているかをご存知だろうか?実はその「過程」の中にこそ奇跡がある。それは、ただの音の羅列でしかないひとつの旋律が、あの歓喜の歌に至るまでの数分間である。
まず、しんと押し黙る大オーケストラの中でチェロとコントラバスのみが歓喜の歌のテーマを、裸の単旋律の状態で低く奏で始めるところから始まり、その時点ではこの旋律は落下してきた隕石の欠片のようにまだなんの意味づけもされておらず、その音はまるで暗い宇宙の中に生まれたひとつの新しい振動のようだ。
そしてある瞬間、ヴィオラとファゴットがどこからか救世主のようにすうっと現れこの旋律に加わると共に「和声」という魔法の光を投げ与える。
すると途端に周囲はパッと明るくなり、私達は一瞬で目の前に美しい天地が誕生し、水が流れ、鳥がさえずり始めたことに気付かされるのである。
まさに天地創造の瞬間だ。
そこへそれまでじっと息を潜めてこの様子を見守っていたヴァイオリン群が、いよいよ地上に舞い降りて来てこの奇跡を祝福するかのようにこの旋律を引き継ぐ。この瞬間、私達は平和な世界の創世の歓びに恍惚となっているはずだ。
この曲を聴くことで私達がこんなにも平和な世界の有り難さに気づくことができるのは、こうしたことをすべてベートーヴェンが音によって語り尽くしたからだ。
この音楽がこうした創世の物語だとするなら、私はまずこの地球という美しい惑星が、人間の飽くなき欲望や悪徳によって一度滅んだ、何もない暗黒の世界を想像する。そこに突然一つの振動が生まれて救世主が現れ、彼がこの振動が奇跡を生むために欠かせない光を与えることで再び美しい惑星が誕生する。
神々がそれを祝福し、人間たちは悔悛に跪き、今度こそ手に手を取り合って全ての生命の調和と平和の未来に向かって結束する歓びを噛み締める。
ベートーヴェンはまさにこの救世主の如く、驚くべき創世の物語を音で創り上げた。しばしばこの交響曲は平和の象徴とされ、ベルリンの壁が崩壊した時には世界中から駆けつけた音楽家たちによって急遽結成されたオーケストラで演奏されたりもした。そうした私達の誰の中にもきっとある、平和を讃える気持ちはこの曲のこうした細部に見事に表現されており、時を越えて人々を鼓舞する。
今この時代において、この曲がただの年末のエンターテイメントとしてではなく、もっと日常で頻繁に聴かれ、演奏されてほしいと願うのは私だけではないという気がする。なぜならこの作品の持つ大きな力と強いメッセージ性こそが今、世界をより良い方向へと変えるために最も必要とされている力であるに違いないからだ。
【私がnoteに記した部分は大体47分頃から始まりますが、もう少し全体を把握するには少し遡って四楽章の始め(44:26)から聴くと良いと思います】