恐るべき子供たち~ドリーマーズ
2003年のミラノで私は「その最高の」プレゼントを受け取った。ヴィスコンティと並んで、私の最も愛するイタリアの映画監督ベルナルド·ベルトルッチの作品【ドリーマーズ】だ。格調高い映像、退廃という闇、俳優たちの徹底したビジュアルの良さなど,どこかヴィスコンティと共通する審美眼を持つこの映画監督の代表作と言えばやはり【ラスト・タンゴ・イン・パリ】だろう。もちろん他にも【1900年】だとか【ラスト・エンペラー】などといった大作はあるのだが、私にとって彼の映画の真の魅力は、精神的に自由な登場人物たちがいとも簡単に規制の古い概念を飛び越えていく様子を「力強いセンシュアリテ〈官能性〉」を持って描いているところにある。この映画はそういった目に見えない興奮や熱狂が、ある種の毒のように美しい姿で暗号化されている。
ミラノで封切られたばかりの【ドリーマーズ】を観た私は、ボーイフレンドとすっかり熱に浮かされて映画館を後にした。なぜか?それはこの映画が最初から最後まで、私が長年愛してきた60年代カルチャーへのオマージュだったからだ。冒頭から始まるジミ・ヘンドリックスの音楽にジャニス・ジョプリン。ゴダールの映画で知った1968年のパリでの五月革命、伝説のシネマテークに通い、新たな映画文化の黎明期に興奮し意見を戦わせる若者たちなどである。そうした60年代カルチャーを文化的背景に描かれてゆく3人の美しい若者たちは、どう見てもジャン・コクトーの【恐るべき子供たち】の主人公たちに酷似している。両親が不在のパリのアパルトマン。独特な絆で結ばれた兄妹と一人の若者の関係性。破綻した暮らしぶりなどいくつもの類似点が見つかる。
監督がこの小説に影響を受けたのかどうかは別としても、この映画が1960年代という政治、風俗、カルチャーをはじめとするすべての分野における眩しい改革の時代を中心に据えていることで、主人公たちは最終的に自分たちだけの「秘密のルール」が君臨する子供部屋の「外」へ出てゆくことを余儀なくされるのだ。そこのところが、ついには呪われた子供部屋の「中」で人生を破綻させてしまうコクトーの兄妹との大きな相違点かもしれない。
1972年に発表された【ラスト・タンゴ・イン・パリ】は70年代のパリ、それも16区(パリでも言わずと知れたブルジョワの生活区域)を舞台に不毛の愛をスタイリッシュに描いた映画だが、長い間物議を醸し、やれポルノだとか教会を侮辱しているだとかでイタリアでは長い間上映禁止だったそうだ。今この映画を観れば、それは映画の流れの中のほんの一部分を誇張して議論しているに過ぎず、それすら行き過ぎた描写とは到底思えない(もっともこの映画のタブーというのは裸そのものよりも主人公たちの「モラル」が議論されたのだが)。それよりも、映画冒頭のF.ベーコンの絵とか、G.バルビエ―リの忘れられないほどセンスのいい音楽、マーロン・ブランドがビル・アケム橋の下で叫ぶ有名なシーンなど、素晴らしいものばかりが印象に残る。
一方この【ドリーマーズ】もポルノ扱いとまではいかないまでも「裸」のシーンが多いことを取沙汰する人がいて「またか」という感じだったのを覚えている。なぜ俗にいう「良識ある人々」はスクリーンに「裸」が登場することをここまで忌み嫌うのか? はっきり言って私たちが感嘆しながらルーブル美術館で眼にする作品のうち、おそらく60%以上は裸体だ。もちろん彫刻作品はありのままに局部を表現している。もしかしたら【石の彫像は(アートなので)あなたを侵害してこないが、本物の身体は(アートではないので)侵害してくる】という議論かもしれない。でも考えてみてほしい。私たちの身体はこの地球上において天文学的数字にのぼる生命体の一つに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。だからこそ人間が都合よく作り出した【モラル】という色眼鏡を通して、その生命体が持つありのままの美しさを曇らせたり汚したりしてはいけないと思うのだ。古来から芸術家たちはそれを一番よく知っていた。【裸】が卑しいのではなく、それを見る人間の【心の眼】が卑しいということだ。
話はすこし横にそれるが、今から約10年前の秋(だったと思う)。私はベルトルッチの新作【IO E TE】(これが遺作となった)のプレミアを観るために新しいパリのシネマテーク*へ出かけたのだが、なんとそこの敷地の庭でベルトルッチを偶然目撃した。すでに重い病に侵されていたこの鬼才は車から降りるところで、2~3人の人たちの手を借りながら杖と共に用意された車いすに乗るところだった。周りには誰一人としてそれを写真に撮ったり見物したりしている人はおらず、10代の頃から計り知れないほどの影響力を私の人生にもたらしたこの監督の姿を目のあたりにして、私は一瞬夢を見ているのかと思ってその場に立ち尽くした。こんな魔法が日常に潜んでいるのがパリの良さでもある。もちろんカメラなど向けなかった事は言うまでもない。
さあ。話ははこのくらいにしてこの映画のワクワクする誘惑に身を任せよう。妖精のようなみずみずしさを全身に漲らせたこの3人の俳優たちを見れば、きっとミケランジェロでなくともその魅力の虜になってしまうだろう。
*新しいシネマテーク: この映画の中でも使われる、もともとシャイヨー宮にあった伝説のシネマテーク・フランセーズは2005年に12区ベルシー駅の近くに移動した。