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ウィーンの幽霊アパート

私の部屋のすぐ隣には、すでにウィーンでの留学生活7年になるトシコさんというピアノ科の音大生が住んでいた。
7年間の留学生活を送っている日本人学生は意外に多く、下の階に住むバイオリニストもオーボエ奏者も皆この幽霊アパートに7年住んでいた。
学生としての7年間の過ごし方というのは人それぞれだとは思うが、彼らは一様に26歳くらいにはなっていた。
つまり私と違い、彼らは日本の音大には行かずに(もしくは中退して)19歳くらいでこちらへやって来て音大で勉強しているのだろう。

ちなみにウィーンが音楽の街と謳われている背景には、人々がクラシック音楽に親しみやすい環境がある。国立オペラ座も、ムジークフェライン(楽友協会ホール)もは立ち見席というのがあり、当時はシリングでさらに物価が安く、だいたい4ユーロ(!)くらいからウィーンフィルをはじめとする一流の音楽会に触れることができた。この素晴らしい体験だけは、今でも一生忘れることのできない宝物となっている。
ウィーンの学生は、物質面こそ質素な暮らしを送っていはいても、毎晩すばらしい音楽会に気軽に足を運ぶことができるという贅沢を知っているのである。

音楽学校も、オーストリア人は入試にパスするとなんと授業料は無料である。私の在籍した国立音大も、年間の授業料が10万円以下で驚いたのを覚えている(日本の高名な某音大の莫大な授業料と比較すると、ナゼ日本で音楽をやると[お嬢様]などと呼ばれるのかが分かる)。
そこまで安いのに、毎週ウィーンフィルのコンサートマスターや、世界でも名だたる講師陣のレッスンが受けられるのである。講師陣の国籍、人種が様々であるように、学生たちの国籍、人種も様々である。

幽霊アパートの音楽家の卵たちは皆、そんな環境に身を置きながらどんな生活を送っていたのだろうか?
ある者は、生活費を稼ぐためにお寿司屋さんでバイトをしていたという。もっと幸運な者は地元のオーケストラでエキストラ奏者の仕事をしながら勉強を続けるだろう。
たくさんの学生がアルバイトをしながら、練習第一のストイックな生活を送っていたと思うが、共通しているのはこの[音楽の都]でなんとか就職しようともがいていたということだろう。
でもそのほとんどが何年経ってもこの夢に辿り着けず、そのうち夢に疲れ帰国するか、どこかで諦めながらも日本には帰りづらいといった状態になっていた。
(続)

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