無本番・練習日記2020年12月14日~12月20日

2020年12月14日(月)
音階(C-dur , a-moll)
ヴュー:音程のための10の練習曲
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playuing Violin
 モダンヴィオラから練習開始。音階を弾き、ヴューは10番と1番。一日間が空いたら10番は途中で音の弾き間違えがあり、なかなかスラスラとはいかない。どうやら目の集中力の低下が音の弾き間違いの引き金になることが多いようで、指が回る・回らないの問題ではないらしい。大きめに書き込んだ指遣いも、譜面を見づらくしている一因であるようだ。先生の書き込みではなく自分自身で書いたものだったので、今回は躊躇せず消すことに。1番は数か所突然出てくる、距離の長いポジション移動が課題か。どうやったら余計な手間をかけずにスムーズに移動できるだろう。
 バロックヴィオラは基礎のみ。セヴシックの3番と6番、ジェミニアーニは8番を途中まで。昨日までやっていた9番はポジション移動がなかったため、こちらでポジション移動の練習を行うことにする。4ページあるので、とりあえず一通り弾いてみようか。

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2020年12月15日(火)
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 練習のやる気があまり起きず、しかし明日から数日個人練習できない日が続くので、バロックヴィオラだけは音を出すことにする。モダンヴィオラはオケでは弾けるので、今日はお休み。
 セヴシックでロングトーンのみ弾き、曲を弾くことにする。しばらく弾いていなかったテレマン、確か5番まで見ていたので、次は6番だったか。1楽章Graveをどう弾いたものか、模索して練習が終わる。本当は2楽章も見たかったが、何となく1楽章の印象が曖昧なまま次へ進む気持ちにはなれず、行きつ戻りつ繰り返し弾くことになった。そもそもGraveの意味を考えることから始まり、かといって捧げ持つように音楽を扱うのは違う気がして、弾きながら思いを巡らす。そういえば小林道夫先生が、下田のアカデミーでそんな内容のことを仰っていらしてような。
 (余談)某会社のオンライン飲み会の話を人づてに聞く。五感を一つでも共有できるとやり取りがスムーズになるのは、レッスンも飲み会も同じらしい。

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2020年12月16日(水)
他用のため個人練習お休み。
 (余談)オーケストラ授業にて、クロンマーのクラリネット協奏曲を扱う。クラリネットはいつもオケの授業で一緒に演奏している学生さん。
 学生さんの指導教官曰く、管楽器の協奏曲は演奏に要求されるテクニックよりも、全楽章通して途中でバテずに演奏することが大変なのだそうな。そしてその大変さに気付くことなく卒業していく音大生が少なくないのだと。
盲点だった。管楽器に限らずどの楽器も、独奏者として協奏曲を全楽章通して演奏する機会はそうそうない訳で、その演奏の大変さが技術面よりも体力面にあるというのは私もあまり考えたことがなかった。私自身も協奏曲を全楽章通して弾いたのは門下の試演会(ピアノ伴奏)で数えるほど。弦楽器とは異なる管楽器の事情を垣間見た気がした。

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2020年12月17日(木)
他用のため練習お休み。

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2020年12月18日(金)
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing Violin
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 バロックヴィオラのみ音出し。練習しなかった期間が延びるほど、上手に弾こうとする見栄と欲が出てくる気がする。「これじゃない」と感覚が訴えることはあっても、出てきた音を正面から受け止めることが出来ない。弾けていない現実をごまかそうとしているのだろうか。
 以前読んだスポーツ科学の本に曰く、人間の脳みそは「原皮質」の上に「大脳新皮質」という層があり、言語などを司る大脳新皮質が働くと、身体機能を司る原皮質の働きが鈍ってしまい、身体を存分に動かすことに支障を来すことがあるらしい。『こころのレッスン』でも「脳内会議」が演奏のパフォーマンスに影響を与える旨が書いてあった(ような気がする)。「上手に弾きたい」「あらまほしい演奏を」と意識することは諸刃の刃で、特に五感の一つである聴覚を使いたいときには、何も考えない方がいいらしい。
 音を出している(演奏に参加している)最中は何も考えない。ただ感じるのみ。
考え事という名の作戦タイムは、それ以外の時間に。
 何も考えず、ただ目の前の現実を受け止めること。たったそれだけの行為が、何と難しいことか。

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2020年12月19日(土)
音階(C-dur , a-moll)
F.A.ホフマイスター:ヴィオラのための12の練習曲
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 今日の練習時間は1時間、時間内にモダンとバロック両方の音出しを行う。
 モダンはまず音階。モダン楽器の重さと演奏感触の違いをひしひしと感じた後は、ホフマイスターの練習曲。レッスンで扱う曲を選ぶついでも兼ねて、1番と4番。ピアノ合わせが難しいご時世は、どうしても一人で弾けるものになってしまう。あとは何を挙げようか。
 バロックは昨日に引き続きテレマンのファンタジー6番の1楽章Graveと2楽章Presto。どう弾いたら良いのかわからないままとにかく数をこなした昨日の練習が効いたのか、少しずつ光明が見え始める。どうしても旋律として弾こうとするが、その考え方を変えた方が良いらしい。どちらかというと、一音一音がレゴブロックのような。作曲技法の違いかな(うろ覚え)。
 見方を変えると、自然と曲の捉え方も変わってくる。何度弾いても腑に落ちなかったGraveも、弾きにくさしかなかったPrestoも、身近く感じられるようになった。あとは3楽章と4楽章が続く。
(余談)訊かれて困ったことがある。戸惑いに近いかもしれない。
「(モダン楽器で)バロック作品を演奏する時、弾き方とかどうやって変えてる?」
プロオケに所属している同級生からの問い。その時代の音楽の特徴や作曲者の生きた時代に思いを馳せることはあっても、作品を演奏することに変わりはなし、特に何もしていないというのが正直なところ。「これはこういうもの」と演奏してしまうのは、どうなのだろう。そもそも小手先の技でどうにかなるものだろうか。

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2020年12月20日(日)
音階(C-dur , a-moll)
F.A.ホフマイスター:ヴィオラのための12の練習曲
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
セヴシック:ヴァイオリン教本 Op.2 Part1
ジェミニアーニ:ヴァイオリン教本 The Art of Playing Violin
テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジー
 寝違えたのか何なのか、朝起きたら首が動かせなくなっていた。起き上がるだけで一苦労。首だけ動かそうとすると痛くて、上も下も向けない。日常動作は茶運び人形のようになった。幸い楽器を弾くことは出来そうだったので、練習はいつも通り行う。むしろこの状態で何がどこまでできるのか、興味津々になっている自分がいる。
 モダンから練習。音階を弾き、ホフマイスターの4番と1番。首が心配だったが、案外大丈夫、弾けた。痛いのは譜めくりと、弓を下ろすときくらい。
 昨日の練習を踏まえ、ホフマイスターも「線」だけでなく「点」も意識して演奏を試みる。横の線もさることながら、リズムではなく和声としての縦の線も外せない要素。今までなぜ1番と4番が特に弾きにくいと感じていたのか、改めて考える機会となった。最終目的地を「良い音を出すこと」にしていては「音楽」にはならないし、作品と向き合うこともできないらしい。何より「良い音の押し売り」になってしまう。
 ホフマイスターの後はテレマンの6番をモダンで弾く。バロックヴィオラで弾くときと何か無意識に変えている部分があるかどうか気になって弾いてみたが、特に何も変えていなかった。強いて言うなら、バロックヴィオラでは弓を用いて行っていた表現を、モダンヴィオラではビブラートで行っている点だろうか。作品の捉え方という点においては、あまり差異が感じられなかった。
 ひとしきりモダンを弾いて、バロックの方をさらう。数日やっていなかった基礎練習は、セヴシックの3番でロングトーン、のちジェミニアーニの教本から8番。一音一音をレゴブロックのパーツのように考えて初めて、メッサ・ディ・ヴォーチェの姿が朧気ながらも見えた気がする。今までは「中膨らみの音」を作ることだけに腐心していたので、やはり形だけ真似るのではどうにもならないことを実感。同時にモダンボウとバロックボウの違いも、一層はっきりとしてきた。
 基礎練習の後はテレマンの6番。3楽章Sicilianoと4楽章Allegroから見て、最後に1楽章Graveと2楽章Presto。Prestoでどうしても音が掠れてしまう箇所は、モダンボウの時と同じやり方で重音を出そうとしている場合が多いと判明したので、次の練習で詰めることに。何となく旋律で弾いていた3楽章も4楽章も、弾き方そのものが変わった。こうなると細かい音符一つも無駄にできない。全ての音符が存在意義を持っていることが判ってくる。

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