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コロナ禍で嚥下ができなくなった話。
今日は久しぶりに外食して肉を食べた。しゃぶしゃぶ。1,000円でお腹いっぱい肉と野菜が食べられるお店だったので、茨城に引っ越してきて以来ずっとことあるごとに通っていたのだが、コロナ禍に突入した2020年春あたりからぱったり行かなくなった。
最初の頃は感染予防や自粛のためだったが、途中から理由が変わった。
固形物を飲み込めなくなったのである。
この症状はコロナ禍で子どもの学校が3か月休校になったあたりから出てき始めた。
私は過度のストレスに侵されると、昔から喉のところに球が詰まったかのような症状に苦しめられることがよくある。これはヒステリー球と言われるもので、半夏厚朴湯というツムラの漢方薬を心療内科でもらってくれば一週間ぐらいで良くなる。
しかし、今回はヒステリー球ともちょっと違った。「何かが詰まった感じ」ではなく、飲み込むときに「ゴクっ」という動きをさせようとしても、喉の筋肉が固まったようになって動かない。
喉の筋肉の老化かとも思い、喉トレの本を買って毎日実践してみたりもした。けれども一向に良くならない。
コロナ禍も2年目に突入したあたりから、外食するとコーヒーを飲むのも嚥下がうまくできなくなっていった。口に含んだコーヒーを「ゴクっ」とやるのに数分かかる。頑張って飲み込んでも、誤嚥してムセまくって、こういうご時世だから周りに白い目で見られることも多かった。
コロナ禍3年目。家族と外食に出ると、メニューを「飲み込めそうかどうか」で選ぶようになった。麺類は飲み込むのに多方面に力がいるので、パスタ屋さんでもカレーを注文した。一度はお粥を注文しようと思って台湾料理のお店に行ったら、「今は麺類しか置いてない」と言われて、結局餃子しか食べられなかった。一度はベーグル屋しか空いてなくて、ベーグルを注文したものの、口の中の水分を根こそぎ取られてしまうあの食べ物は、嚥下をするにはスーパーハードであった。そんな感じでいつも飲み込むのに全身の筋肉を使うので疲れ果ててしまって、少ししか食べていないのにお腹いっぱいになってしまった。
いい加減、鼻カメラで検査してもらわねばかと思ったが、ハードルが高くてなかなか踏み出せなかった。そうこうしているうちに、第七波がピークアウトし、ふと気づいたら嚥下障害が治っていた。今日はやっと肉が食べられた。なんか、コロナ禍で意外とストレスが溜まってたのかもなあと思いながら久しぶりのしゃぶしゃぶを喰らっていたら、こんな記事を見つけた。
どうも私だけじゃなかったらしい。一種の社会不安のようなものだったのだろう。
自分自身は元から人と外食などはほとんどしないタイプだったし、元から自営業なので家にずっといる人間だったし、コロナ禍で大きく生活が変わったわけではなかったのだけれど。
何度となく子供の休みが延長になってオンライン授業になったり、子供が真夏にマスクをして熱中症になって死にかけたり、行事やるやらないが最後までよく分からなかったり、まあとにかく「ストレスに感じないようにしよう」と自分に言い聞かせてはいたものの、言い聞かせるだけではおさまりきらなかったようなどうしようもない不安が、「嚥下できない」という形で身体に出てきていたのかなと思う。
3年にもわたる嚥下障害は、今だから言えるけど本当に辛かった。
私みたいに特に生活が変わっていないダメージ少な目な陰キャでも3年にわたり地味なストレスを喰らっていたのだから、きっともっと若い人、幼児、小学生、中学生、高校生、親には見せなくてもストレスを蓄積してしまっている子たちがきっとたくさんいるはずだと思った。
仙台育英の監督の言葉じゃないけど、「青春って密だと思うんですよ」
こういう長く続いた社会不安の影響って、後になってからジワジワ出てきたりするので、私たち大人は気を付けて下の世代を見守っていかなきゃいかんなあと改めて思ったり。
(久しぶりにゴックンできて食べた肉でしめるね。はーうまい)
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次は麺類いくわ。うん。